シンプラル法律事務所
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論点の整理です(随時増やしていく予定です。)
★第1章 道徳体系としての武士道 | |
@武士道の起源および淵源 Aその特性および教訓 Bその民衆に及ぼした感化 Cその換価の継続性、永久性 |
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武士道: 武士の掟・武士階級の身分に伴う義務 |
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不言不文⇒実行によって一層力強き効力を認められている。 数十年数百年にわたる武士の生活の有機的発達。 |
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封建制⇒専門的な武士の階級が勢力を得てきた。 | |
大なる名誉と大なる特権と、したがってこれに伴う大なる責任 ⇒高度の共通規準の必要。 |
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戦闘におけるフェア・プレイ! 「小さい子をいじめず、大きな子に背を向けなかった者、という名を後に残したい」 |
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「我らは知る、欠点いかに大であるともそれから徳が起こる」 「卑劣」といい「臆病」というは、健全にして単純なる性質の者に値する最悪の侮辱の言葉である。 |
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★第2章 武士道の淵源 | |
■ | ■仏教 |
運命に任すという平静なる感覚 不可避に対する静かなる服従 危険災禍に直面してのストイック的な沈着 生を賤しみ死を親しむ心 |
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■ | ■禅 |
禅:言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力 その方法は瞑想 そのん目的は、すべての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばその絶対と調和せしむるにある。 |
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何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒する。 | |
■ | ■神道 |
主君に対する忠誠 祖先に対する尊敬 親に対する孝行 |
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⇒武士の傲慢なる性格に服従性が付与された。 | |
己を知る。 人の道徳的性質内省。 |
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神道の自然崇拝⇒国土をば我々の奥深きたましいに親しきものたらしめ、その祖先崇拝は系図から系図へと辿って皇室をば全国民共通の遠祖となした。 国土は、神々、すなわち我々の祖先の霊の神聖なる棲所。 |
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天皇:地上にいて肉親をもちたもう天の代表者であり、天の力の仁愛とを御一身に兼備したもう。 | |
@愛国心 A忠義 |
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■ | ■孔子・孟子 |
君臣 父子 夫婦 長幼 朋友 間における五倫の道。 |
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「論語読みの論語知らず」 知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識となる。 知識そのものは道徳的感情に従属するものと考えられた。 |
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■ | ■王陽明 |
知行合一 | |
■ | ■ |
武士道が自己に吸収同化したる本質的なる原理は少数かつ単純であった。 but 我が国民歴史上最も不安定なる時代における最も不安なる日々においてさえ、安固たる処世訓を供給するには充分であった。 |
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★第3章 義 | |
「義」は武士の掟中最も厳格なる教訓。 | |
義:決断力 | |
「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」 「節義は例えていわば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」 |
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孟子:「仁は人の心なり、義は人の路なり」 〜義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直くかつ狭き路 |
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ややともすれば詐術が戦術として通用し、虚偽が兵略として通用した時代にありて、この真率正直なる男らしき徳は最大の光輝をもって輝いた宝石であり、人の最も高く賞賛したるところ。 義と勇は双生児の兄弟。 |
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義理という文字は「正義の道理」の意味。 その本来の純粋なる意味においては、義理は単純明瞭なる義務を意味した。 「正義の道理」は我々の絶対命令であるべき。 |
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親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、それの欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。 ⇒義理において構成した。 |
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「義しき道理」より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。 あらゆる種類の詭弁と偽善を宿した。 鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化した。 |
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★第4章 勇・敢為堅忍の精神 | |
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。 | |
孔子:「義を見てなさざるは勇なきなり」 ⇒「勇とは正しきことをすることなり」である。 |
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武士道にありては、死に値せざる事のために死するは、「犬死」と賤しめられた。 | |
水戸の義公:「戦場に駆け入りて討死するはいともやすき業にていかなる無下の者にてもなしえらるべし。生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり」 | |
超スパルタなる「胆を練る」方法。 | |
敢為の行為が勇気の動態的表現たるに対し、平静はその静態的表現。 | |
常人には深刻な事柄も、勇者には遊戯に過ぎない。 | |
上杉謙信「聞く北条氏、公を困むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣な行為なり、我の公と争うところは、弓矢にありて米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、多寡ただ命のままなり」 | |
勇と名誉とは等しく、平時において友たるに値する者のみを、戦時における敵としてもつべきことを要求する。 勇がこの高さに達した時、それは仁に近づく。 |
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★第5章 仁・惻隠の心 | |
愛、寛容、愛情、同情、憐憫は古来最高の徳として、すなわち人の霊魂の属性中最も高きものとして認められた。 | |
@高貴なる精神に伴う多くの属性中王位を占めるものとして王者的 A特に王者の道にふさわしき徳として王者的。 |
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孔子も孟子も、人を治むる者の最高の必要条件は仁にあることを繰り返した。 | |
孔子:「君子はまず徳を慎しむ、徳有ればこれ人有り、人有れはこれ土有り、土有ればこれ財有り、財有ればこれ用あり、徳は本也、利は末也」 | |
孟子: 「不仁にして国を得るはこれ有り、不仁にして天下を得る者はいまだこれ有らざるなり」 「天下心服せずして王なる者はいまだこれあらざるなり」 |
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孔子・孟子: この王者たる者の不可欠要件を定義して、「仁とは人なり」と言った。 |
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上杉鷹山:「国家人民の立てたる君にして、君のために建てたる国家人民には之なく候」 | |
封建君主は臣下に対して相互義務を負うとは考えなかったが、自己の祖先ならびに天に対して高き責任感を有した。彼は民の父であり、民は天より保護を委ねられたる子であった。 | |
専制政治:人民はいやいやながら服従。 父権政治:かの誇りをもってせる帰順、かの品位を保てる従順、かの隷従の中にありながら高き自由の精神の生くる心の服従 |
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我が国民にありては、君主の権力の自由なる行使はヨーロッパにおけるがごとく重圧と感ぜられざるのみでなく、人民の感情に対する親父的考慮をもって一般に緩和されている。 | |
ビスマルク:「絶対政治の第一要件は、治者が無私正直にして義務感強く、精力と内心の謙遜をもつことである」 ドイツ皇帝:「王位は神の恩恵により、かつ神のみに対する重き義務と巨大なる責任を伴う。いかなる人も、大臣も、議会も、国王からこれを免除し得ないのである」 |
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真直なる道義と厳格なる正義が特に男性的であるとすれば、 慈愛は女性的なる柔和さと説得性とをもつ。 |
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伊達政宗:「義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる」 | |
「最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」とは普遍的に真理である。 | |
「武士の情」 武士の場合にありては愛は盲目的の衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単にある心の状態としてのみではなく、生殺与奪の権力を背景に有する愛 |
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弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適わしき徳として賞賛せられた。 | |
戦闘の恐怖の真っただ中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がなした。 それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たした。 |
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優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生じる謙譲・慇懃の心は礼の根本をなす。 | |
★第6章 礼 | |
良き趣味を害うことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。 真の礼は、これに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。 それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。 ←社会的地位は何ら金銭的差別を表すものではなく、本来はじっさいの価値に基づく差別であった。 |
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礼の最高の形態は、ほとんど愛に接近する。 「礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬まず、礼は誇らず、驕らず、非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず」 |
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礼は武人の特殊なる徳として賞賛せられ、その値する以上に高き程度の尊敬を払われた ⇒その偽物が起こってきた。 |
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孔子:虚礼の礼にあらざるはあたかも音響の音楽におけるがごとく。 | |
最善の道は最も経済的であると同時に最も優美なる道である。 | |
我が国の霊峰についてその起源ならびにこれを成立せしめたる道徳的動機の跡を尋ねうる。 厳格なる礼儀の遵守の中に含まるる道徳的訓練。 |
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小笠原流宗家:「礼道の要は心を練るにあり。礼をもって端座すれば兇人剣を取りて向うとも害を加うること能わず」 〜絶えず正しき作法を修むることにより、人の身体のすべての部分及び機能に完全なる秩序を生じ、身体と環境とが完く調和して肉体に対する精神の支配を表現するに至る。 |
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茶の湯 | |
礼儀はたとい挙動に優美を与えるに過ぎずとしても、大いに益するところがある。 その職能はこれに止まらない。 礼儀は仁愛と謙遜の動機より発し、他人の感じに対するやさしき感情によって動くもの⇒常に同情の優美なる表現。 礼の吾人に要求するところは、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶことである。 |
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「君は陽にさらされている、私は君に同情する。もし私の日傘が十分大きければ、もしくは我々が親友の間柄であるならば、私は喜んで君を私の日傘の下に入れてあげたい。しかし私は君を蔽うことができないから、せめて君の苦痛を分かつであろう」 | |
物を送る時:「君は善い方です、いかなる善き物も君には適わしくありません。・・・」 | |
★第7章 誠 | |
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。 | |
伊達政宗:「礼に過ぐれば諂いになる」 「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」 |
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孔子:「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」 誠の博厚にして悠久たる性質、動かずして変化を作り、無為にして目的を達成する力について、滔々と述べている。 |
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「武士の一言」 武士は然諾を重んじ、その約束は一般に証書によらずして結ばれかつ履行せられた。 「二言」は死によって償う。 |
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×「正直は最善の政策なり」=正直は引き合う。 vs.虚言 〇徳それ自体がこの徳の報酬 |
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武士道は「あるものに対してあるもの」という報酬の主義を排斥するが 商人はこれを受容する。 |
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★第8章 名誉 | |
廉恥心は少年の教育において養成せらるべき最初の徳の1つ。 | |
繊細なる名誉の掟の陥りやすい病的な行き過ぎは、寛大および忍耐の教えによって強く相殺された。 | |
西郷: 「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する心をもって人を愛するなり。人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず。我が誠の足らざるを尋ぬべし」 |
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名誉と名声が得られるならば、生命そのものさえも廉価と考えられた。それ故に生命っよりの高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速をもって生命を棄てた。 | |
★第9章 忠義 | |
目上の者に対する服従および忠誠は、截然としてその特色をなしている。 | |
忠誠が至高の重要性を得たのは、武士的名誉の掟においてのみ、 | |
西洋の個人主義は父と子、夫と妻に対して別々の利害を認むるが故に、人が他に対して負う義務を必然的に著しく減ずる。 しかるに武士道においては、家族とその成員の利害は一体である。 |
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父の叛逆行為に関する平重盛胸中の苦闘 「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」 彼後に、魂を傾けて死を天に祈り、純潔と正義の住み難きこの世より解放せられんことを願いしを見る。 右のごとき衝突の場合において、武士道は忠を選ぶに決して逡巡しなかった。 武士の妻女は毅然としてその子を忠義のために棄つるに躊躇しなかった。 |
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武士道は、我々の良心を主君の奴隷とすべきことを要求しなかった。 主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪相のたねに自己の良心を犠牲にする者に対しては、武士道は低き評価を与えた。 かかる者は「佞臣」すなわち腹黒き阿諛をもって気に入ることを求める奸徒として、或いは「寵臣」すなわち卑屈なる追従によりて主君の愛を盗む嬖臣として賤しめられた。 |
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臣が君と意見を異にする場合、彼の取るべき忠義の途はリア王に仕えしケントのごとく、あらゆる手段をつくして君の非を正すにあった。 容れられざる時は、主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。 かかる場合において、自己の血をそそいで言の誠実を表わし、これによって主君の明智と良心に対し最後の訴えをなすは、武士の常としたるところ。 |
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生命はこれをもって主君に仕うべき手段なりと考えられ、しかしてその理想は名誉に置かれた。 | |
★第10章 武士の教育および訓練 | |
武士の教育において護るべき第1は、品性を建つるにあり。 思慮、知識、弁論等知的才能は重んぜられなかった。 |
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武士道の骨組みを支えたるていそくは智仁勇であると称せられた。 武士は本質的に行動の人。 |
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武士道教育における教科目: 撃剣、弓術、柔術もしくは柔ら、馬術、槍術、兵法、初動、倫理、文学および歴史等 |
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武士道は非経済的である。それは貧困を誇る。 | |
時代の頽廃を叙するための常用後: 「文臣銭を愛し、武臣命を愛しむ」 黄金と生命をおしむことは賤しめられ、その濫費は賞揚せられた。 |
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武士道において節倹が教えられたのは、経済的の理由によるというよりも、克己の訓練の目的にいでた。 | |
知識でなく品性が、頭脳でなく霊魂が琢磨啓発の素材として選ばれる時、教師の職業は神聖なる性質を帯びる。 「我を生みしは父母である。我を人たらしむるは師である」 |
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金銭なく価格なくしてのみなされうる仕事のあることを、武士道は信じた。 ←僧侶の仕事にせよ、教師の仕事にせよ、霊的の勤労は金銀をもって支払われるべきではなかった。 価値がないからではなく、評価しえざるが故。 |
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師はすべての学問の目的と考えられしものの具体化であり、かくして鍛錬中の鍛錬として普く武士に要求せられたる克己の生きたる模範であった。 | |
★第11章 克己 | |
一方において、勇の鍛錬は、呟かずして忍耐することを銘記せしめ、 他方において礼の教訓は、我々自身の悲哀もしくは苦痛を露すことにより他人の快楽もしくは安静を害せざるように要求する。 ⇒外見的ストイック主義の国民的性格。 |
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感情のはけ口を求めて涙を流したりもしくはしんぎんの声を発することなきよう教育せられる場合、かかる努力が彼らの神経を遅鈍ならしむるか、それとも一層鋭敏なりしむるかは、生理学上の一問題である。 | |
「喜怒色に現わさず」 最も自然的なる愛情も抑制せられた。 |
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人の深奥の思想および感情・・・特にその宗教的なるものを多弁を費やして発表するは、我が国民の間にありては、それは深遠でもなきことの間違いなき徴であるとされる。 言語はしばしば、「思想を隠す技術」 |
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絶えざる自制の必要を認めかつこれを励行せしめたものは、じつに我が国民の激動性、多感性そのものであると信ずる。 ともかくこの問題に関するいかなる説明も、長年月にわたる克己の鍛錬を考慮に入れずしては正確ではありえない。 |
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克己の理想とするところは、我が国民の表現に従えば心を平かならしむるにあり、或いはギリシャ語を借りて言えば、デモクリトスが至高善と呼びしところのエウテミヤの状態に到達するにある。 | |
★第12章 自殺および復仇の制度 | |
腹切と敵討 | |
武士道は名誉の問題を含む死をもって、多くの複雑なる問題を解決する鍵として受け入れた。 功名心ある武士は、自然の死に方をもってむしろ意気地なき事とし、熱心に希求すべき最後ではない、と考えた。 |
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切腹は、法律上ならびに礼法上の制度。 武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは「自己の誠実を証明する方法。 |
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洗練せられたる自殺であって、感情の極度の冷静と態度の沈着なくしては何人もこれを実行することを得なかった。 | |
真の武士にとっては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった。 死をもって卑怯と考え、キリスト教殉教者に近き忍耐をもって、 「憂き事のなほこの上に積もれかし 限りある身の力ためさん」 と吟じて己を励ました。 |
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武士道の教えるところは、 忍耐をと正しき良心とをもってすべての災禍困難に抗し、かつこれに耐えよ。 |
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孟子: 「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ、その身を空乏し、行そのなすところを払乱せしむ。心を動かし性を忍びその能わざるところぞう益する所以なり」 |
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真の名誉は天の命ずるところを果すにあり、これがため死を招くも決して不名誉ではない。 これに反し天の与えんとするものを回避するための死は全く卑怯である。 |
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「平生何程口巧者に言うとも死にたることのなき侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり」 「一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の矢も透らず」 |
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報復 | |
「地上にありてもっとも美しきものは何ぞ」オシリスはホーラスに問うた。 「親の仇を報ずるにあり」 日本人は「主君の仇」を付け加える。 |
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「目には目を、歯には歯を」 吾人の復仇の感覚は数理力のごとくに正確であって、方程式の両項が満足されるまでは、何事かがいまだなされずして残っているとの感を除きえない。 |
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★第13章 刀・武士の魂 | |
刀という凶器の所有そのものが、彼に自尊ならびに責任の感情と態度を賦与する。 忠義と名誉の象徴。 |
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家にありては書斎客間の最も目につきやすき場所を飾り、 夜は容易に手の届く所に置かれて彼の枕頭を守る。 刀は不断の伴侶として愛され、固有の呼び名をつけて愛称せられ、ほとんど崇拝せられる。 |
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武士道は刀の正当なる使用を大いに重んじたるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。 | |
「血を流さずして勝つをもって最上の勝利とす」 | |
★第14章 婦人の教育および地位 | |
家庭的ならびに 勇婦的特性 の両立。 |
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武士道は、「女性の脆弱さより自己を解放して、最も強くかつ最も勇敢なる男子に値する剛毅不撓を発揮したる」婦人をば最も賞揚した。 | |
貞操は武士の婦人の主要の徳であって、生命以上にこれを重んじた。 | |
娘としては父のために、妻としては夫のために、母としては子のために、女子は己を犠牲にした。 幼少の時から彼女は自己否定を教えられた。 その一生は、独立の生涯ではなく、従属的奉仕の生涯であった。 |
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女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、 男子が主君と国のために身を棄つる と同様に、喜んでかつ立派になされた。 |
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自己否定は、男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。 女子が男子の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様。 |
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奉仕の上昇階段に立ちて女子は男子のために己を棄て、これにより男子をして主君のために己を棄つるをえしめ、主君はまたこれによって天に従わんがため。 | |
奉仕の教訓に関する限り、武士道は永遠の真理に基づいた。 | |
ギゾー: 封建制度ならびに騎士道は健全なる影響を与えた。 スペンサー: 軍事社会においては夫人の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となるに伴いてのみ改良せられる。 |
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婦人が最も少なく自由を享有したのは武士の間においてであった。 社会階級が下になるほど、夫婦の地位は平等であった。 身分高き貴族の間におおてもまた、両性間の際は著しくなかった。 |
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男女おのおのその地上における使命を果たすため必要とせらるる資格の種々多様なることを考えれば、両者の相対的地位を計るために用いらるべき尺度は複合的性質のものでなければならない。 | |
武士道はそれ自身の本位を有した。それは両本位であった。 女子の価値をば戦場ならびに炉辺によって計った。 前者においては女子は甚だ軽く評価せられたが、 後者においては完全であった。 |
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@我々は自分の妻をほめるのは自分自身の一部をほめるのだと考える。 Aわが国民の間では自己賞賛は少なくとも悪趣味だと見なされている。 |
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武士道の武的倫理においては、善悪を分つ主要の分水嶺は他の点に求められた。 それは人をばおのれの神聖なる霊魂に結び、しかる後、初めの部分に述べし五倫の中、私は忠義、すなわち臣下たる者と主君たる者との関係について説くことがあった。 その他の点についてただおりに触れて付言したに過ぎない。 けだし、それらは武士道に特異なものではなかったから。 それらは自然的愛情に基づくものとして、当然全人類に共通であった。 |
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★第15章 武士道の感化 | |
過去の日本は武士の賜。 彼らは国民の花たるのみでなく、またその根であった。 あらゆる点の善き賜物は彼らを通して流れでた。 私は武士道に体内的および対外的教訓のありしことを認める。 後者は社会の安寧幸福を求むる福利主義的であり 前者は徳のために得を強調する純粋道徳であった。 |
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武士は全民族の善き理想となった。 知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産であった。 |
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敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ひ山桜花 |
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★第16章 武士道はなお生くるか | |
「知識に基づく発見は人類共通の遺産であるが、性格の長女短所は各国民の占有的遺産である。それは堅き巌のごとく、数世紀にわたり日夜水がこれを洗うても、わずかに外側の圭角を除去しうるに過ぎない」 | |
王政復古の暴風と国民的維新の旋風との中を我が国船の舵取りし大政治家たちは、武士道以外何らの道徳的教訓を知らざりし人々であった。 | |
善かれ悪しかれ吾人を動かしたものは純粋無雑の武士道であった。 現代日本の建設者たる佐久間、西郷、大久保、木戸。伊藤、大隈、板垣等。 |
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★第17章 武士道の将来 | |
母制度たる封建制の去りたる時、武士道は孤児として遺され、自ら赴くところに委ねられた。 | |
もろもろの権能および権威は陣を張って武士道に対抗する。 勝ち誇れる平民主義(デモクラシー)の抵抗し難き潮流だけでも、武士道の遺残を呑むに足る力があった。 ←平民主義はいかなる形式もしくは形態のトラストをも許容しない。 but 武士道は知識および強要の予備資本を独占する人々によりて組織せられ、道徳的諸性質の等級および価値を定むるトラストであった。 |
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普通教育、産業技術、富ならびに都会生活の発達 ⇒刀も弓矢も施すにところなき。 |
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名誉の巌の上に建てられ、名誉により防御せられたる国家は、 屁理屈の武器をもって武双せる三百代言の法律家や饒舌の政治家の掌中に急速に落ちつつある。 |
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武士の徳、武士の誇り、道徳は、将軍たちの王たちの去るとともに消え行かんとする運命にある。 | |
社会の状態が変化し、武士道に反対なるのみでなく敵対的とさえなりたる今日は、その名誉ある埋葬の準備をなすべき時である。 | |
我が国においては、1870年(明治3年)廃藩置県の詔勅が武士道の弔鐘を報ずる信号であった。 その5年後公布せられし廃刀令は、 「代価なくして得る人生の恩寵、低廉なる国防、男らしき情操と英雄的なる事業の保母」たりし旧時代を鳴り送りて 「詭弁家、経済家、計算家」の新時代を鳴り迎えた。 |
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現在の命ずるところはこの遺産(=武士道)を護りて古来の精神の一点一画をも害わざることであり、 未来の命ずるところはその範囲を拡大して人生のすべての行動および関係に応用するにある。 |
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ストイック主義は滅んだと、誰が言いうるか。 それは体系としては滅んだ。しかし徳としては生きている。 その精力と活力は今日なお人生多岐の諸方面において、西洋諸国の哲学において、全文明世界の法律において、感知せられる。 いやしくも人が自己以上に自己を高めんと奮闘する時、自己の努力によりて霊が肉を支配する時、吾人は常にゼノンの不滅の教訓の働けるを見る。 |
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