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論点整理(不法行為責任内容論序説(長野))

論点の整理です(随時増やしていく予定です。)

不法行為責任内容論序説(長野)
★序章
■1 不法行為効果論をめぐる従来の議論
  □(1) 従来の通説・・・差額説+相当因果関係説 
    賠償されるべき「損害」とは「もし加害原因がなかったとしたらばあるべき利益状態と、加害ななされた現在の利益常態の差」

賠償されるべき損害の範囲は、加害原因との因果関係によって定まる。
そこでの因果関係に「実際上の因果の進展」を全て含めると、「その不法行為なかりせば生じかかったであろうという関係に立つ損害は実際上意外な範囲に及ぶことが少なくない⇒その場合にその全損害を賠償しせしむることは甚だしく公平に反する」

「当該の不法行為の行われる場合に通常生ずるであろうと想像せられる範囲の損害のみを賠償せしめ、当該の不法行為に特別事情が加わったために生じた特別の損害はこれを賠償せいしめまいとする」相当因果関係説
同内容を定めたものとされる民法416条の類推適用により、条文上の正当化。
    vs.
平井:
(1)理論面の批判:
416条において制限賠償原則を表明している日本民法の解釈論に、完全賠償原則を前提とするドイツ流の相当因果関係という概念を持ち込むことは、理論的に無意味。
vs.
むしろ日本民プは完全賠償原則に近い立場をとっているとの見方も有力であり、批判としての有効性には疑問が呈されている。
(2) 実益ないし実用面に関する批判
賠償されるべき損害の範囲をめぐって生ずる現実の紛争は複雑多様であり、むしろ実際には、裁判官は当該紛争の具体的事情に応じて具体的な損害賠償額を決定し、その決定を正当化するために、それがあたかも「相当因果関係」という抽象的な概念ないし「理論」の適用によって明快に決定されたものであるかのごとく構成する、といったほうが、事態の真相に近い。
これまでの「理論」は、・・・具体的判決の具体的結論について体系的な理由付けを必要とする実務の有効な指針となり得ていない
 
  □(2) 平井の見解・・・損害事実説+3段階の評価枠組 
    従来相当因果関係として論じられてきた問題を、
損害と評価される事実の発生を前提として
①事実的因果関係・・・事実認定の問題

②保護範囲・・・法の解釈・適用問題
日本民法が制限賠償原則をとっている⇒それは責任原因と結合させて、過失の規準である行為義務の義務射程によって判断すべき。

③金銭評価・・・実務上形成された準則の枠内での行われる裁量的判断
の順に判断。
こうした評価の対象となる「損害」とは何かについては、
損害を不利益な事実ととして捉える理解を前提に、
各事実を被侵害利益の重大さに応じてランク付けた際の「最も上位に被侵害利益」が「損害」であり、他の損害の事実は、それに包摂される、その認定の資料となる。
     
  ■2 従来の議論の到達点と、本書の検討課題 
  □(1) 平井による枠組の理論的意味 
  平井における3段階の区分自体は広く共有されているが、
その「損害」概念については必ずしもそのように言えない。
その枠組みは「損害」を基点とする⇒そこに何を据えるかによって全く理論的意味が違ってくる可能性がある。
  平井における3段階の区分の理論的根拠が必ずしも明らかにされていない。

平井:
保護範囲と金銭的評価の区別は「論理的に」導かれるものであって、
前者においては行為義務の解釈という法律判断が問題となるのに対し、
後者は「過去に生じた事実を一定のルールに従って金何円と評価するという創造的・裁量的性質を有する作業」
vs.
こうした区別および性質の違いが「論理的に」導かれるのは、損害を事実と理解するからに他ならない。
butその根拠が説明されていない。
  but
平井における保護範囲と金銭的評価の区別は、理論的に重要な意味を持つ。
その手掛かりは「損害」概念にある。 
平井による損害概念の定式化は上述の通り⇒権利侵害とほぼ異ならない。
平井:
権利侵害要件は既に責任限定機能を失っており、独立の要件と認めるべきではなく、過失要件の1つ(すなわち「被侵害利益の重大さ」)または損害の発生の要件に吸収されたと見るべき。

違法性理論:権利侵害は違法性の徴標にすぎない⇒不法行為の成立を権利侵害がある場合に限るべきではない⇒権利侵害要件を放棄。
but
平井の論旨:権利侵害はもはや責任限定要件として機能していないから独立の要件として認識するまでもない
~過失判断における「被侵害利益」という形で、なお重要な意義を持っている。
権利侵害要件の吸収先がこの「被侵害利益の重大さ」と損害要件⇒後者も権利侵害を内容とすることになるはず。
過失の判断因子と損害概念とが同一の内容であって初めて、責任原因と賠償範囲を「結合」することが理論的に可能になる。
「責任原因=賠償範囲」は結局、権利侵害の帰責の有無=範囲の問題ということができる。
平井による損害の定式化は、その枠組の理論的意味を決定づける。

一定の事実(権利侵害)の帰責の有無=範囲の問題と、そのようにして帰責された事実(権利侵害)について負うべき責任の内容に関する問題とを区別する。
それに対して、後続侵害について義務射程とは別個の帰責基準を適用すべきだとする見解は、帰責の有無と範囲の問題を区別し、それぞれ別個の規準を適用すべきだと説いている。
     
  □(2) 従来の議論の到達点・・・不法行為法の問題構造 
    不法行為に関する解釈問題:
(1)ある行為において不法行為責任がそもそも成立するか否かに関する「責任の成立」
(2)成立した不法行為責任がどれだけの範囲の結果にまで及ぶかに関する「責任の範囲」
(3)成立した当該範囲の不法行為責任がどのような内容において現実化するかに関する「責任の内容」
の3つに区分される。
    責任成立論(1)においては、一定の事実(権利侵害)をそもそも行為者に帰責することが、主観的・客観的観点から正当化されるかどうかが問題となるのに対し、
責任範囲論(2)においては、既にある事実(権利侵害)についての帰責が確定している者について、それに後続する別の事実(権利侵害)の帰責に関して、新たな責任設定が問題となる場合よりも厳格な扱いを認めるべきではないのかが問題となる。
~いずれも一定の事実(権利侵害)の帰責の問題。

責任内容論(3)においては、既に一定の事実(権利侵害)についての帰責が正当化された場合において、それについての責任がいかなる内容であるのか、そこで帰せられた責任とは一体何なのかという点についての確定作業が問題となる。
    かつての通説においては、差額説+相当因果関係説の下で、責任範囲および責任内容の問題が区別されずに扱われていたところ、
平井によって
①責任範囲の問題と責任内容の問題との異質性、および
②責任設定の問題と責任範囲の問題との同質性
が主張された。
これに対し、①は広く受け入れられたが、➁については、いずれも帰責の問題であるという理解は共有されつつも、同じ基準によって処理することについては異論が多く出された。
     
  □(3) 責任内容論に関する研究の手薄さと、従来の不法行為制度目的論 
  責任成立の問題⇒不法行為の成立要件

不法行為の効果⇒損害賠償の範囲
として、主として責任範囲の問題に関する帰責基準をめぐって議論が交わされてきた
but
狭義の効果論とも言える責任内容の問題については、それを裁判官の裁量的判断に委ねる平井に典型的なように、十分な理論的検討がされてきたとは言い難い。
  不法行為法の制度目的:被害者に生じた損害の填補
~損害填補とは不法行為の法律効果である損害賠償を言い換えただけでは? 
後述の規範的損害論⇒効果論における損害に関して、その把握において既に規範的評価が介在⇒そのための視点の提示が必要。
その指摘は、論理上、制度目的論のレベルでも同様に妥当。

そうした規範的評価の中で制裁的要素が考慮され、それにより賠償されるべきものとされた「損害」を填補することが不法行為法の制度目的であると述べることも、論理的は排除されない。
but
それは上記の損害填補論の趣旨に反する。
これを否定しようとするならば、制度目的論における「損害」を把握する際の規範的評価を明らかにした上で、そこに制裁的要素が含まれないことを示す必要がある。
そのような規範的評価が明らかになれば、その中にこそ真の制度目的が表れている。
  「損害の公平な分担」 
制度目的として「公平」という抽象的な理念のみを掲げ、効果論(責任内容論)においては、相当因果関係とか損害の金銭的評価といった内容の不明確な概念の下で、個別の事例類型ごとに妥当と感じられる処理を行う。
それが実の姿。
  □(4) 本書の検討対象・・・責任内容論  
    「責任内容」の問題について、その判断のための規範的評価の提示とその理論的基礎づけが喫緊の課題。
一定の事実(権利侵害)が加害者に帰責されたときに、加害者が当該事実について負うべき損害賠償責任の内容はいかにして定まるかというのが、本書で扱う課題。 
     
  ■3 先行学説 
  □(1) 差額説+相当因果関係説、金銭的評価説 
    vs.
「相当性」の内実が明らかでない
差額説による結論が不都合と感じられる場合には、「控え目な算定」等の事実認定レベルで問題が処理されてしまう。
そこでは、責任内容論に関する実体法理が、これらの概念や手法により隠蔽されてしまう。
  □(2) いわゆる義務射程説ないし規範の保護目的説
    基点としての「損害」を、具体的な個々の損害項目レベルで捉える見解もある。

出発点としての損害の具体性ゆえに、事実的因果関係・保護範囲・金銭的評価の3段階全てが、帰責された権利侵害についての責任内容の問題に関わる⇒保護範囲の確定基準とされる義務射程ないし規範の保護目的が、責任内容論においても重要な基準を提供するかのように見える。
  □(3) 不可避性、確実性を規準とする見解 
    前田達明は、入院費、治療費、葬儀費用などといった個別の損害項目に当たるものを損害と捉える。
責任内容の問題に当たるものを損害賠償の範囲の問題とした上で、その確定規準を多数の裁判例の検討から抽出。
消極的損害(逸失利益)については、当該利益の取得が確実であったこと、
積極的損害については、それが権利侵害から不可避に生じたものであること
が規準となる。
精神的損害については、(その手法ゆえに当然ではあるが)裁判官の自由裁量に委ねる。
vs.
精神的損害をその射程に含まない
理論的根拠が示されていない
「不可避」かどうかはいかなる観点から判断されるのか
消極的損害における「利益」にはどこまでのものが含まれうるのか
それは総体財産の差額として現れることが必要なのかどうか
等、細部において明確でない点もある。
  □(4) いわゆる規範的損害論(p11)
◎(a) 
公害裁判における原告側のいわゆる包括請求方式を前にして、個別の損害項目の立証を認めつつ、こうした包括請求をも正当化できる理論を探求する試みの中から生まれたもの。
淡路:
不法行為法の制度目的の1つが侵害された権利の回復にある
⇒生命・身体の侵害があった場合に、それがない状態に戻すこと、すなわち「原状回復」が損害評価の理念。

死傷そのものを損害と見る理解を前提に、その評価における当事者と裁判官の役割分担を説く(「評価段階説」)。
被害者が個別の損害項目を立証⇒裁判官はそれに拘束される(「個別的評価」)。
それがない場合⇒裁判官は創造的役割を発揮して損害を評価すべき(包括的評価)。

原状回復の理念から、被害者およびその家族の状況に注目して、その生活を保障するという観点が重視(「生活保障説」)。
  ◎(b) 潮見佳男
  潮見:
不法行為法の制度目的の1つ権利侵害を前にしての被害の救済にある
損害事実の把握に際して原状回復の理念を基礎に据える
but
それは法以前の所与のものではなく、「不法行為がなかったならばあるであろう状態」の確定において既に法的・規範的評価が介在
それを支える視点として、損害賠償請求権の「本来の権利の価値代替物として性質」(権利追求機能)を挙げる。

まず私法秩序が当該権利に割り当てた客観的価値「最小限の損害」として賠償され、
これを超える損害が立証されたならば、当該被害者にとって権利が有している価値(主観的価値)として、それもまた賠償される。
  ◎(c) 水野謙
    例えば生命侵害の事例においては、
「生命という法益が侵害された事実に着目しただけでは、その内実は明らかとはならず、また生命という法益はそれ自体多義的な内容を含んでいる」のであり、それは「個々の被害者が、不法行為時にどのような属性を持ち、いかなる立場に置かれ、何を求めて生きていたのかといった規範的な問いかけを明示的に行うことを通じて、初めてその具体的な姿を現す。」
ex.
給与所得者⇒生命と言う法益は賃金と交換可能な労働力という形で具現化
幼児⇒将来に開かれた就労可能性が法的保護に値する
このように、損害を適切に把握・算定するためには、
一方で侵害された権利ないし法益を規範的観点から具体的なものに変容させ、
あるいは損害の算定という効果を意識しながら新たに設定しなおしたうえで、
いかなる不利益が被害者に生じたのかを分析的に観念しなければならない。
他方で、例えば人身事故の後に被害者が減収を防ぐべく努力したとか、別原因により被害者が死亡したというように、
「権利侵害ないし法益侵害後の不利益状態に変動があった場合は」、
「不法行為による権利侵害時から(訴訟における制約としての)口頭弁論終結時までに観念されうる被害者のさまざまな不利益状態に対し、(それが賠償範囲に入ると判断されれば)規範的評価を行うこと」が重要であり、
口頭弁論終結時までの「プロセスにおける不利益状態」を類型ごとに規範的かつ金銭的に評価したものを損害と捉えるのが事態適合的
  ■4 検討の方法、素材および順序 
    責任内容論に関する実体規範を探求⇒一定の結論に至るまでの「規範的評価」が明らかにされる必要がある
そうした規範的評価の解明を重視すればするほど、「損害」概念は、こうした規範的評価を経て得られた結論に対するラベリングでしかなくなっていく。

損害概念論からはあえて距離を置き、「損害賠償責任の内容はどのような規範に基づいて確定されるのか」という点を直接に検討することが合目的。
     
★第1章 ドイツ不法行為法・損害賠償法の基本構造(p17)
  ◆第1節 責任設定と責任充足 
    責任設定:行為者がそもそも損害賠償責任を負うかどうかに関する問題
責任充足:成立した損害賠償責任の範囲および内容に関する問題
後者については、不法行為責任と契約責任とを併せて、249条以下に規定が置かれている。
「損害賠償法」ないし「損害法」
     
  ◆第2節 責任充足と相当因果関係説・規範目的説
  ■1 問題の所在 
  ■2 責任制限理論の展開・・・規範目的説の通説化 
  ■3 規範目的説の射程に関する対立と、その原因
  ■4 小括 
    責任充足についていかなる規範の目的が意味をもつのかという点を自覚的に論じる論者らの間では、そこでは損害賠償規範の趣旨・目的が鍵を握るという理解が概ね共有されている。
損害賠償責任の内容を確定するにはそれを基礎づける損害賠償規範の趣旨・目的を明らかにしなければならないというのは、「目的論的な規範解釈の帰結」にほかならず、その意味で「当たり前のこと」。
  ◆第3節 本書の検討対象(p29)
  ■1 関連条文
    249条(損害賠償の方法と範囲)
(1) 損害賠償の責任を負う者は、賠償義務を基礎づける事情がなかったならば存在するであろう状態を回復しなければならない。
(2) 身体の侵害または物の毀損により損害賠償をしなければならないときは、債権者は、原状回復に代えて、そのために必要な金額を賠償することができる。
物の毀損の場合においては、第1文により必要とされる金額は、それが現実に課される場合および限度に限り、売上税を含む。
250条(期限の指定に基づく金銭による損害賠償)
251条(期限の指定によらない金銭による損害賠償)
(1) 原状回復が不能であるとき、または債権者にとって不十分であるときは、賠償義務を負う者は、金銭による賠償をしなければならない。
(2) 原状回復が不相当な費用を要するときは、賠償義務を負う者は、金銭による賠償をすることができる。侵害を受けた動物の治療によって生じた費用は、それが同物の価値を著しく上回っただけでは不相当とならないものとする。
252条(逸失利益)
253条(非財産損害)
254条(共働過失)
  ■2 基本構造 
    ①加害者は、原則として、賠償を基礎付ける事情が生じなかったならば存在するであろう状態を回復しなければならない(249条1項)。
=自然的現状回復
②「身体の侵害または物の毀損」の場合⇒被害者は、①に代えて、原状回復に必要な金額を請求できる。
③原状回復が不可能または不十分⇒加害者は、金銭による賠償をしなければならない(251条1項)。
=補償
④原状回復が可能ではあるが不相当な費用がかかる⇒加害者は③とドぷ用に金銭により賠償をすることができる(251条2項前段)。
⑤被害者の方からも、原状回復に期限を定めることで、その経過により、③と同様に金銭による賠償を請求できる(250条)。
⑥以上に対し、損害の発生に被害者の有責性が寄与した場合など⇒共働過失(過失相殺)による減額がされる(254条)。
③~⑤に言う「金銭による賠償」の内容について、
⑦賠償すべき損害には逸失利益も含まれる(252条)一方、
⑧非財産的損害は、身体・健康等一定の法益が侵害された場合(253条2項)その他法律に特別の定めがあるときにのみ金銭による賠償がされる(253条1項)。
以下
③~⑤に言う「金銭による賠償」
②原状回復費用の賠償
との区別を明確にするため、前者を「補償としての金銭賠償」と呼ぶ。
  ■3 次章以下の陳述の順序 
    人損・物損について、
「原則として現状回復費用賠償
それが不可能ないし不相当に高額な場合における補償としての金銭賠償」
という2段階の基本構造。
 以下では、
自然的原状回復と原状回復費用賠償とを含むものとして「原状回復」の語を用いる。
     
★第2章 ドイツ民法典249条・・・原状回復(p33)
    本章では、249条の原状回復、とりわけ2項1文の定める原状回復費用賠償について、その基礎にある規範的評価の解明を試みる。 
  ◆第1節 普通法時代の学説 
  ◆第2節 ドイツ民法典起草過程における議論
  ◇Ⅰ キューベル部分草案 
  ◇Ⅱ 第1委員会における審議 
  ◇Ⅲ 第1草案とそれに対する批判 
  ■3 デーゲンコルプによる批判 
    彼の批判は、自然的原状回復を損害賠償の一態様として規定すること、さらにそれを金銭賠償に優先する原則として規定することの2点に向けられる。
  □(1) 損害賠償としての自然的原状回復への批判 
自然的原状回復と金銭賠償との異質性。
前者は、自然的な侵害を自然的に回復するものであるのに対し、
後者は財産の減少を金銭によって回復するものであり、
両者はその対象と異にする。
第1草案は、218条において財産の減少を損害としている
⇒そこでの損害賠償概念は金銭賠償に限られなければならない。
自然的原状回復は概念上いまだ完結していない変化に対して向けられるものであり、既に完結した過去の損害を除去するものではなく、むしろその発生を将来に向けて阻止するもの。
間欠した損害は、(それが財産の減少である以上)金銭による代償によってのに賠償される。
既得の権利の対象となっていない利益の喪失も、逸失利益として損害に含まれる
⇒権利侵害と損害は明確に区別されるべき。
権利の追求と損害の追求もまた区別されなければならない。
他方で、直接の権利貫徹のみが権利追求のあり方ではなく、
権利の転形による場合もある。
その一例が積極損害。

侵害された権利の客体の代償が給付されるのであり、その点で、既得の権利とは言えない将来の収入の見込みに対する代償が問題なる逸失利益と区別される。
「逸失利益・・・との関係では、自然的原状回復の思想は、その形式上の一般性からするとそれを完全に包摂しなければならないはずであるにもかかわらず、後退する。これに誤りがなければ、この対立(積極損害と逸失利益)はさらに意味を持つ。すなわち、自然的原状回復の思想全体は、損害法に特有の思想ではない。それはむしろ権利の貫徹から出てくる思想なのである」
デーゲンコルプによると、金銭賠償と自然的原状回復は異質なものであり、本来は前者のみを「損害賠償」と呼ぶべきであり、それらを「損害賠償」の名の下で一括することは、本来異なって扱われるべきものが同じに扱われる危険をはらむ。
  □(2) 自然的原状回復の「原則」への批判 
  ◇Ⅳ 第2委員会における審議 
  ■3 帝国司法庁準備委員会の承認 
    7つもの修正提案の反対にもかかわらず自然的原状回復の原則が維持されたことについては、「特に物の占有が違法に奪われた場合や、不法行為によって法律関係の変動がもたらされた場合には、権利侵害の除去のために自然的原状回復は欠かせないものである」との説明がみられる。
・・・ここではその見解が、自然的原状回復とは権利の追求を目的とするものであるとの見方の限りで受け入れられている。
  ◇Ⅴ 第2草案からドイツ民法典成立まで 
  ◇Ⅵ 小括(p48)
  ■1 概括 
  ■2 原状回復の意義 
以上の起草過程において原状回復がどのように位置づけられていたか、とりわけ「差額説」(したがってまた、補償としての金銭賠償)との関係がどのように理解されていたか?
  □(1)
  デーゲンコルプにおいても、その批判を意識していた第2委員会においても、自然的原状回復は権利の追求ないし貫徹という思想から導かれるものであり、これによって権利侵害が除去されるという点に、補償としての金銭賠償に対する固有の意義が認められるという認識は共有されていたと考えられる。

ドイツ民法における「損害賠償」の中には、権利の追求ないし権利侵害の除去を目的とするところの自然的原状回復と、
「差額説」に依拠した(デーゲンコルプの用語に従えば、「損害追求」を目的とする)補償としての金銭賠償
とが混在。

そもそも目的を異にする異質なものが含まれる。
この点が、デーゲンコルプの批判した点の1つだが、それが立法者の選択。
  □(2)
  原状回復費用賠償の位置づけは、起草者の理解はあいまいであった。
  ◆第3節 第1期における学説・判例・・・原状回復の埋没(p51)
  ◇Ⅰ 自然的原状回復の理解 
  ■1 位置づけ 
  ■2 内実ないし範囲
  ■3 小括・・・・学説の「到達点」 
  ◇Ⅱ 原状回復費用賠償の理解(p63) 
  ■1 位置づけ 
  ■2 解釈論 
  ◆第4節 第2期における学説・・・3つの見解(p70)
  ◇Ⅰ 従来の理解の二極化 
  ■1 必要損害論 
  □(1) 内容 
  物損において被害者が代物を賃借せず、利用喪失の不利益を忍んだ場合にいかなる賠償が認められるか?
金銭の支出がされていない⇒「差額説」の意味での財産損害は生じていないと見るのが一般の理解。
ツォイナー:
「金銭よって賠償されるべき損害は、・・・実際の支出をまつまでもなく、そもそも支出が必要となったことの内に存する
「損害事実がなければ発生しなかったはずの金銭的な必要性が生じた」ことの中に、差額としての損害が見出される。
  □(2) 論拠 
①被害者の節約が加害者を利することにはるのは妥当でないとの実質的な価値判断。
②従来の学説によると、原状回復費用賠償は実際の支出に先だって請求することができ、そこで受領した額は必ずしも自然的原状回復のために用いる必要はない。
vs.
ドイツ民法上、原状回復費用賠償は原状回復の一種とされており、自然的原状回復が可能であることを前提とする一時的・附従的な性質のものであるところ、自然的原状回復が不可能となった場合にもなお必要損害として仮定的な原状回復費用の賠償を認めるのは、こうした性質に反する。
再vs.
①第2委員会議事録の仲の、原状回復費用賠償による「新しい物との取り替え」について語る箇所⇒原状回復費用の処分自由を前提とする。
②それを「支出をしなっければならなくなったことについての賠償」とする記述

249条2項1文「の起訴にある考え方は、原状回復の法技術的手段を与えることのみを目的としているのではなく・・・、当初から損害計算の特別形態という要素を含んでいる」ことが伺われる。
  □(3) 意義 
必要損害という損害項目を観念し、それと原状回復費用賠償とを結びつけることにより、原状回復費用賠償は補償としての金銭賠償の一類型であるという位置づけを維持しつつ、
そういした位置づけと一見矛盾する従来の判例・学説上の解釈論に統一的な基礎が与えられる。
  ■2 現実的支出説 
原状回復費用賠償の位置づけに関する従来の理解を貫徹させ、それと整合しない解釈論を放棄する方向の見解。
  □(1) 内容 
249条2項1文の「特別な機能」は「被害者が原状回復を、それを加害者に委ねる代わりに、自らの手で行えるようにする」点にある。
⇒同規定が定めるのはもっぱら原状回復費用の支出に先だってなされる請求について。
これについては、「客観的な事情に基づいてしか「必要な」金額は確定されえない。なぜなら、算定が事前になされなければならない以上、その他に具体的なよりどころがないから」
  □(2) 意義 
原状回復費用賠償を補償としての金銭賠償の一類型と捉えた上で、賠償の対象となる財産損害を端的に被害者のした現実に金銭的支出に見出す。
ここでは、249条2項1文の独自の機能は、もはや原状回復費用の先払いを基礎付ける点にしか見出されない。

第1期における判例法理のうち、少なくとも処分自由や仮定的費用については、現実的な支出を伴わない原状回復費用賠償を認める点で、正当化できない。
  ◇Ⅱ 新たな見解・・・権利回復説(p74)
  ■1 フロッツの見解 
  □(1) 内容 
原状回復と金銭賠償の違い。
249条の原状回復による損害除去に対応する損害概念は、責任を基礎づける事実が被害者の財産に与える影響を度外視し、法益の侵害に照準を合わせるもの(完全性利益)。
まさにそのために、財産的価値のない法益が侵害された場合にも原状回復またはその費用の支払を請求できる。
これに対し、249条以下によれば金銭賠償のみが問題となる場合には、法律上指示された差額計算の方法によって、損害事実により被害者の金銭的価値ある財産にどのような損失が生じたかを確定しなければならない(財産利益)。
  □(2) 意義 
この見解の最大のポイントは、
原状回復によって賠償されるのは侵害された法益の「完全性利益」であり、そこでは被害者の財産に対する影響は度外視されるとした点にある。

原状回復と補償としての金銭賠償とでは問題となる利益が異なるとして、前者に固有の存在意義を示している。
  ■2 メディクスの見解とその影響 
  □(1) 内容 
  □(2) 問題点 
  □(3) 判例への影響 
一般論としてはメディクスの見解をそのまま採用するようであるが、
注目すべきは、そこでは中古車両の再調達が原状回復に当たるとされていること。
メディクスは、この判例の評釈において、
「修補は通常、被害者の財産をその具体的構成に従って保護するという自然的原状回復の目的をより完全に達成する」ことからこれを否定し、再調達費用は補償としての金銭賠償に当たる。
いずれにせよ、この判例において、
中古車の毀損においては修補と再調達がいずれも原状回復として位置づけられ、
その一方の選択は、当該手段が「必要」と認められる限りにおいて認められることになった。
これは、しばしば、修補費用が再調達費用よりも高くつく場合に、どの限度まで前者を請求できるかという形で問題となるところ、その後の下級審実務で、概ね再調達価値の130%を限度とするという基準が形成されていった。
  ■3 シュトルの見解 
  □(1) 内容 
正しい見解によれば、原状回復とは、侵害された権利または法益に対応する状態を回復することにより損害源を除去すること以上のものではない。この状態に対して、被害者は通常、有形無形の特別な完全性利益を有しているのであり、原状回復の優位によって保護されるべきなのはまさにこの特別な利益に他ならない。

原状回復の要件は、除去されるべき不利益が・・・物理的な性質であれ精神的なそれであれ・・・権利に反する状態を体現していることだけ。
⇒原状回復の枠内では、損害は規範的に、すなわち侵害された権利または法益の内容から理解され、導かれる。
原状回復と補償は、損害賠償の異なる機能である。
それらは賠償給付の目的のみによって区別される。
  □(2) 意義 
第1:原状回復を権利・法益の完全性の回復として捉えた上で、回復されるべき状態を「侵害された権利または法益に対応する状態」と定式化し、これによって従来の「経済状態の回復」という理解から決別した。
第2:原状回復と補償としての金銭賠償とは単なる給付内容、つまり賠償態様において異なるにすぎないのではなく、そもそもその目的を異にする点を明らかにした。
  ■4 シーマンの見解 
  □(1) 内容 
「自然的原状回復が指示されていることの中に既に、ある者が有する権利および法益が純粋に財産保護に優先するという思想が見出される」
「権利継続思想」」
法益損害は自然的原状回復の原則により、損害と財産との関連を問うことなく賠償される
これに対し、原状回復によって填補されない損害は、それが財産領域に反映する場合にのみ賠償される
  □(2) 意義 
  ■5 小括・・・権利回復説とその意義 
  □(1)
  シュトルとシーマンによって完成されるに至った理解によると、
自然的原状回復とは権利・法益の完全性の回復を言い、
原状回復費用賠償はそのための手段であって、
いずれも権利継続思想によって基礎付けられる。 
特に原状回復費用賠償について言うと、
この見解は、その目的を「差額説」の意味での財産損害の填補でなく、
侵害された権利・法益の完全性の回復に見出す点に特徴。
「権利回復説」
特に原状回復費用賠償について言うと、この見解は、その目的を「差額説」の意味での財産損害の填補ではなく、侵害された権利・法益の完全性の回復に見出す点に特徴がある。
「権利回復説」
but
これによると、自然的原状回復の内実ないし範囲についても、起草者らと同様に狭く理解し、再調達や代物賃借はそこに含まれない
←それらに侵害された物事態の所有権の完全性を回復するものではない
  □(2)
  必要損害論
vs.
自然的原状回復の可能性がなくなったところでなお仮定的な原状回復費用の賠償を認めるならば、それは原状回復としての性質を失い、補償としての金銭賠償と同化してしまう。
but
当の自然的原状回復が財産損害の填補を目的とする点で補償としての金銭賠償と本質を同じくするとすれば、そのような説明によって原状回復費用賠償補償としての金銭賠償との違いを正当化することはできない。 
  ◇Ⅲ 小括・・・3節の鼎立(p84)
第1期の学説・判例:
自然的原状回復とは、財産損害(および非財産損害)の填補を目的
⇒補償としての金銭賠償と本質を同じくし、ただその態様を異にするにすぎない。

原状回復費用賠償は、まさに金銭賠償という態様において補償としての金銭賠償と異ならず、必然的にその下位類型として理解される。
「必要損害論」「現実的支出説」はこうした理解を基礎とし、両者は、そこで賠償の対象となる財産損害をどのように捉えるかという点について見方を異にする。
権利回復説
権利侵害の除去を目的とするものとして、補償としての金銭賠償とは異質なものと捉える。
原状回復費用賠償も、これと同じ目的に資するものとして位置づけられる。 
     
  ◆第5節 第2期における判例・・・処分自由・仮定的費用をめぐる展開(p84)
  ◇Ⅰ 先駆・・・客観的算定規準の維持 
  ◇Ⅱ 処分自由論・仮定的費用論の展開
  ■1 自己修理における仮定的費用賠償 
    問題となる2つの場合:
1つ:被害者が金銭の支出をせずに自ら自然的原状回復を行った場合
もう1つ:被害者が自然的原状回復を行うことのないまま、それが不可能となった場合
    被害者に自己修理が期待できない場合、すなわち事業者を利用することが客観的に「必要」と認められる場合には、それに要する費用が、付加価値税相当額を含めて賠償の対象となる。

①原状回復費用の客観的算定ということに加え
②原状回復費用を受領しつつ損害の除去を放棄することも自由であるということ、すなわち処分自由。
  ■2 目的物処分後の仮定的費用賠償・・・処分自由論の確立?
  □(1) 問題の所在 
    仮定的費用賠償が問題となるもう1つの場面:
被害者が自然的原状回復を行わないままそれが不可能となった場合として問題となるのは、
事故によりその所有する自動車を毀損された被害者が、その自動車を修理しないまま、新車の購入の祭に支払の一部として下取りに出し、その上でなお加害者に修補費用の請求をするという事案。
  □(2) 1976年判決 
  □(3) その意義 
◎    ◎(a) 
  従来の学説:
原状回復費用も原状回復の一種⇒っ自然的原状回復が可能な限りにおいて認められる。
一旦原状回復費用の賠償がされたときには、その処分は被害者の自由に委ねられる。
~賠償後に自然的原状回復が不可能となっても、被害者は支払われた原状回復費用を保持し続けることができた。
vs.
賠償時期と自然的原状回復が不可能となる時期の先後という偶然によって大きな結論の違いが生じる。
  ◎(b) 

連邦通常裁判所は、従来から言われてきた原状回復費用の処分自由との整合性を図るという観点から、自然的原状回復が不可能となった後の仮定的修理費の賠償を認めた。
←修理の必要性自体を財産損害と捉える見方(必要損害論)。
but必要損害論の発想からは必ずしも説明できない部分
仮定的修理費が車両の時価を超えることは許されないとする部分。
(実際に修理が行われる場合には、その修理費が時価を上回ることが一定限度で認められている)
     
  ◇Ⅲ 学説の対応・・・判例批判理論 
  □(1) 判例理論への批判 
①被害者が被った損害は、実際に支出された費用に限られる。
実際に支出されていない原状回復費用の賠償を認めるのは、被害者を不当に利することになり、完全賠償原則の裏返しとしての利得禁止に反する。
②249条2項1文に基づく原状回復費用賠償は、同条1項による自然的原状回復を前提とするものであって、それが可能な限りで認められる一時的・附従的な性格をもつ。
自然的原状回復がもはや不可能な場合にまでその賠償を認めるのは、このような原状回復費用の性格に反する。
     
  ◇Ⅳ 判例理論の軌道修正 
  ■1 グルンスキーの見解 
  ◎(a) 
処分自由を肯定する判例の見解は「少なくとも物損については無制限に賛成できる」

ここでは、損害賠償は被害者の財産を以前の状態に回復するためにされる。しかし、被害者が事故の財産を使って何をするかは、加害者には関係がない。とりわけ、自分の財産を以前の状態から「組み替える」(例えば、損害を除去せず、その代わりにその金額を自分のものとすることによって)ことは、被害者の自由である。
こうした仮定的な修補費用が物の再調達価値を上回る場合にまでその賠償を認めるべきかについては判決は否定しており、それも支持できる。

原状回復とは被害者の完全利益を保護するものであるというメディクスの説明が援用。
被害者が修補を行わない場合、この者は自らの完全性利益に対し価値を見出していないのであって、「それにもかかわらず、完全性利益を考慮して初めて正当化されるところの修補費用に達するまでの増額を与える理由はない」
     
  ■2 仮定的修補費用の上限としての再調達価値
     
  ■5 判例理論の到達点 
  □(1) 原状回復が不可能な場合の仮定的修補費用・・・減価分の填補としての実質 
    原状回復が不可能となり、もはや行われないこととなった場合にも、仮定的な修補費用が賠償されるとの枠組自体は維持されている。
but
実際にはそこで問題となっているのは補償であり、そこで填補されるべき不利益の額が必要な原状回復費用によって評価されているにすぎない。
  □(2) 原状回復措置が実際に行われた場合 
◎    ◎(a) 
  原状回復が実際に行われた場合における原状回復費用賠償について
それが「完全性利益」の保護に資するものであることが、その正当化根拠とされる。
そこでの「完全性利益」とは、所有権や身体など、侵害された権利の完全性を指すものとして用いられる。
これは権利回復説の理解に他ならない。
  ◎(b) 
判例においては、現実になされた支出と客観的に「必要な金額」とを概念上区別し、後者が賠償の対象となるという理解が維持。
⇒権利回復説におけるように、権利の完全性の回復のたmねに実際に支出された費用が賠償されるということにはなっていない。
  ◎(c) 
自己修補の場合は、例外的に、再調達価値を上回る仮定的費用賠償がなお認められる。

完全性利益の保護
権利の完全性の回復のために被害者がした特別な努力に対し報償を与えるという発想
  □(3) 物の減価分が仮定的費用として扱われることの背景 
    249条および251条においては、自然的原状回復または原状回復費用賠償が原則とされ、補償としての金銭賠償は、それが不可能または不十分な場合に限定されている。
but
それで、物の修理が可能である場合には、被害者はそれをしなければ賠償を得られないのであって、修理を放棄してその減価分の賠償だけを請求することはできないことになるが、それは不当と感じられる。

判例が、物の減価分をあくまで原状回復費用賠償の枠内で扱おうとすることは、被害者に、その望まない自然的原状回復を強いることなく、直ちに補償としての金銭賠償に相当するものを与えるという意義が見出される。
     
    原状回復の意義が侵害された権利の回復にある⇒権利が主体に一定の事由を保障するという即位面を有する以上、その回復を行うかどうかはもっぱら権利者の自由に委ねられるとするが合理的。
  □(4) 結論・・・権利回復説との親和性 
判例理論は、なお処分自由論・仮定的費用論の外見を維持していはいるものの、
その実質においては批判理論、その中でも権利回復説に接近している。
  ◇Ⅴ ここまでの小括(p105)
  ■1 権利回復説の優位性
  □(1) 
起草者らの理解:原状回復費用賠償を支出が必要となったことに対する賠償と見る発想
第1期の学説・判例:現実の支出額と客観的に「必要な金額」の文理、原状回復費用の処分自由
第2期:理論的に純化
自然的原状回復の理解
but
自然的原状回復自体に固有の存在意義が認められない⇒原状回復費用賠償をそのための手段として位置づけ、厳格にその可否にかからしめることは、合理的な理由なし。
原状回復費用賠償はそこから切り離して、「損害計算の特別形態」と捉えても構わないとの見方。
=必要的損害論。
⇒権利回復説
  □(2) 
  権利回復説は判例上も受け入れられたかに見えた。
but
そこでは、権利の回復には当たらないはずの代物の再調達が自然的原状回復に位置づけられていた。
その後の判例は、むしろ必要損害論の発想に従い、処分自由論・仮定的費用論を展開。
  □(3) 
    判例が当初依拠した必要損害論も
それに批判を加えた現実的支出論も、
「差額説」の枠組みで原状回復費用損害を捉える点で異ならない。
その上で、差額計算において、「必要損害」なる損害項目を観念し、参入すべきか、それとも実際の支出額にのみ着目すべきかという点において見解が分かれるにすぎない。
but
「差額説」の枠組みからは、いかなる損害項目をなぜ計算に含めるべきかという規範的評価はでてこない。
but
必要損害論は、一定の実質的な規範的評価をも伴っていた。
それが、被害者の節約・謙抑によって加害者が利得を得るべきではないというもの。
結局、以上の2説は、いかなる損害項目をなぜ計算に含めるべきかという規範的評価を示すことはできない。
これに対し、
権利回復説は、
自然的原状回復、すなわち侵害された権利・法益に対応する状態の回復を加害者の負担において被害者自ら行うための手段として原状回復費用賠償を位置づけるものであり、
それによって、原状回復費用賠償がなぜ認められるべきかという規範的評価を明らかにしている。
しかもそれは、起草者らの自然的原状回復に関する理解を貫徹したものである点で、沿革的にも正当性が認められる。

こうした規範的評価⇒被害者が権利の回復を行ったかどうかは決定的な意味を持つため、そのために費用が支出された場合となされなかった場合とで同じ扱いをすべきだとする必要損害論の発想は維持しえない。
  ■2 判例理論における処分自由論仮定的費用賠償の機能 
  判例は、その実質は権利回復説と異ならないとはいえ、形式ないし論理としては、必要損害論に結びつくところの処分自由論、仮定的費用論を維持。
それらが果たしている2つの機能。
  □(1) 
  第1:
判例における仮定的費用賠償は、補償としての金銭賠償の自由選択を被害者に認める機能を果たしている。

仮定的費用賠償は、原状回復が不可能または不十分な場合にのみ補償としての金銭賠償を認めるというドイツ民法典の枠内で、実質的に両者の自由選択を認めるための便法としての機能。 
これについては、「原状回復」侵害された権利の完全性の回復を目的とするものとみる限り、本来自由選択が正面から認められるべきもの。
  □(2)
  第2:実際に金銭の支出がない場面において賠償を認めるという機能。
  ◎(a)
  自己修理の場合:
賠償の実質は、被害者の労働に対して相当な報酬を与えるという点にある。
but
判例はそうした報償を正面から認めることをせず、客観的に算定されるところの仮定的な修補費用の賠償という形式によって同様の実質を実現。
その基礎にあるのは、「差額説」の枠組みの中で支出の必要性自体を総体財産を減少させる損害項目とみる、必要損害論の発想。
判例は、原状回復費用賠償の場面でも「差額説」の思考枠組み・・・総体財産の「減少」の「填補」という枠組・・・を前提としている。
but
被害者の労働に対する報償という発想はそうした枠組みになじみにくい

判例は、同様の実質を「差額説」の枠組において実現すべく、仮定的費用賠償の論理をなお維持している。
  ◎(b) 
治療費の請求が実際の支出に先だってなされる理論的説明としては、
「支出を必要とするところの損害は既に発生している」とされる。
but
原状回復費用賠償を被害者自ら自然的原状回復を行えるようにするための手段として導入するのであれば、先払いの請求はまさにそうした原状回復費用賠償の機能によって正当化されるのが整合的。
  以上の理解は、およそ損害賠償とは「差額説」によるところの損害を填補するものであるとの固定観念の下に、原状回復費用賠償もまた損害賠償の1つとして定められていることから来る。
この推測が正しいとすれば、以上のことは、
「損害の追求」としての金銭賠償
「権利の追求」としての原状回復とを
同じ「損害賠償」の名の下で一括するのは妥当ではないとして第1草案を批判した憂慮が的中したもの。
判例と学説の展開は、原状回復費用賠償とその基礎にある法思想・・・権利継続思想・・・の本来の姿が徐々に発見されていく歴史としての意味をもつ。
  以上のようにして、判例が現在でもなお処分自由論・仮定的費用論の外形を維持しているのは、結局のところ、起草者らが自然的原状回復の一手段としての原状回復票賠償の性質を十分に理解していなかったことに、その遠因がある。 
  ■3 ここまでの展開が意味するもの 
起草者らは、自然的原状回復につき、権利侵害の除去という意味を持つものと理解しており、しかも、そうした自然的原状回復を被害者らの手で行えるようにするために、原状回復費用賠償を導入。
but
起草者らはその「射程とその詳細な姿を完全に見通していなかった」

権利回復説の理解が有力となるには長い時間を要し、また現在でも判例上正面から認められているわけではない。
  ◆第6節 第3期における新たな学説 
  ■1 C.フーバーの見解 
  ■2 ゴットハルトの見解 
  ■3 U.ピッカーの見解 
  □(1) 内容 
  □(2) 意義 
     
  ■4 小括(p116) 
  □(1)
  第3期における新たな見解:
①権利回復説と同様、原状回復に固有の存在意義を重視し、それと補償としての金銭賠償との区分を見失わせることにつながる処分自由論には明確に反対。
②他方で、そこでの原状回復の内容を、起草者や権利回復説のように侵害された権利の回復として狭くとらえることはしない。
むしろ、その範囲を拡張してきた判例の傾向を引き継ぎ、侵害された権利が被害者の下で果たしていた機能の回復という点にその目的を見出す点に、その特徴がある。
「権利回復説」との対比で「機能回復説」
物の再調達は、機能的に対応する限り、代替物でるかどうかを問わず原状回復に当たる他、
人損における増加した需要の満足も原状回復に含まれる。

原状回復に固有の存在意義を重視しつつも、その内実を判例におけるよりもさらに拡張させる点に、特徴がある。
  機能回復説の理解からも、侵害された権利が被害者の下で果たしていた機能を回復する最も直接的な手段は、当該権利それ自体の完全性を回復することであるはず。
⇒機能回復説の立場も、「侵害された権利の完全性の回復」という、権利回復説におけると同様の規範的評価を、少なくとも原状回復の中核部分については共有。
  ◆第7節 本章のまとめ(p118)
    ドイツ民法249条2項1文による原状回復費用賠償は、少なくともその中核部分においては、「侵害された権利の完全性の回復」という規範的評価をその基礎に据えている。
責任内容確定規範という観点から定式化すれば、
「侵害された権利の完全性を回復するために支出された費用は、必要な限度で賠償されなければならない」(権利回復規範)
   
★第3章 ドイツ民法典251条・・・補償(p119)
  ◆第1節 緒論 
  ■1 検討方針 
  ■2 対象の限定 
  ■3 問題類型と検討の順序 
    3つに区別
第1:侵害された権利の客体自体に被った不利益が問題となる場合
第2:当該客体の広い意味での「利用」に関する不利益が問題となる場合
第3:不法行為に際して被害者がなした各種の付随的支出に関する賠償が問題となる場合
以下
物損における利用喪失
人損
附随的支出
物損における本体損害
  ◆第2節 物損その1・・・物の利用喪失 
  ※第1款 抽象的利用賠償・・・賠償の正当化 
交通事故により自動車の修補を余儀なくされた被害者が、修補が終わるまで代車を賃借することなく不便を甘受する場合

「差額説」からは、総体財産の減少が認められない⇒不便な思いをしたことは非財産的損害として・・・253条2項の掲げる場合に当たらない以上・・・賠償されないことになりそう。
but
結論として妥当でないと感じられた。
  ◇Ⅰ 問題の所在・・・肯定説への批判 
①物の利用価値は、本体価値から分離した独立の財産ではなく、それに含まれるもの。
⇒本体損害に並べて利用価値についての賠償を認めると、二重の賠償を認めることになる。

  ◇Ⅱ 判例の到達点 
     
  ◇Ⅲ 肯定説その1 従来の財産損害観念論 
  □(1) 必要損害論 
代物賃借が原状回復に当たり、その費用は249条2項1文により賠償されるとの理解を前提に、
被害者がそれをしなかったことによって加害者が免責されるのは妥当ではない

そのような原状回復の必要性が生じたことにより既に被害者の総体財産に損害項目が計上されるとの発想の下で、いわゆる「必要損害」を認める。
vs.
①原状回復費用賠償を財産損害に解体し、その規則にある規範的評価を隠ぺいしてしまう点で問題。
②その必然的結果と言えるが、いかなる場合に「必要損害」が認められるかが明確でない。
③現在では、抽象的利用賠償は(認められるとすれば)251条1項によるとするのが判例・通説。
  □(2) 挫折理論、商品化論 
  ◎(a) 挫折理論 
一定の目的のために費用が支出された後に、責任を基礎付ける事実によって当該目的が挫折し、その費用が無駄になった場合には、当該費用についての賠償を認める。
vs.
損害事実と費用支出との因果関係が欠ける
(再)vs.
支出された費用自体が損害なのではなく、それと等価のものが失われたことが損害であり、これは損害事実との因果関係を有する
but
挫折理論の発想を貫くと、ある利益にそもそも、またどの程度価値があるかということを被害者が自由に決定できることになってしまい、法律上の規範的評価として維持しがたい。
  ◎(b) 商品化論 
     
  ◇Ⅳ 肯定説その2・・・権利の保障内容ないし割当内容への着目 
  ■1 サヴィニーからメルテンスへ
  ■2 「権利の保障内容」に着目する見解 
  ■3 侵害利得との関係を視野に入れる見解(p142) 
  ■3-1 利用可能性を賠償対象とする見解 
  ■3-2 抽象的利用利益を賠償対象とする見解 
  ◇Ⅴ 小括(p159)
  □(1) 歴史的・解釈論的背景 
抽象的利用賠償の問題に関して、権利の「保障内容」ないし「割当内容」という観点からアプローチする見解は、相当に有力な潮流をなしている。
  □(2) 権利の保障内容ないし割当内容の構造 
問題はそこに言う権利の保障内容ないし割当内容の内実。
①権利・法益自体の割当
②当該権利・法益による「法的地位」の割当
③権利・法益により割り当てられた「権限」の客観的価値
④「権限」の行使により得られる「利益」およびその客観的価値
①は権利の設定の問題⇒責任内容論を扱う本書では対象外。
責任内容論の観点から重要と考えられるのは、その他のものから示される枠組。

権利により割り当てられる「権限」を中核に、それ自体の価値と、その行使により得られる「利益」の価値が賠償の対象となる。

「侵害された権利が保障する権限またはその行使により得られたであろう利益が失われたときは、その価値が賠償されなければならない」との責任内容確定規範。
「価値補償規範」
  □(3) 所有権の捉え方
所有権、あるいはその保障内容に含まれる利用・処分権限をどう捉えるか?
A:この「権限」を時間関連的でない単一のものと捉え、そこに利用権との違いを見出した。

物が毀損されて一時的に使えなくなったとしても、利用・処分権限自体は失われない⇒これに対する賠償が、本件損害に対するのと別に認められることはない。

利用可能性は本体価値に含まれるとの理解。
その上で、そうした「権限」の行使により得られる「利益」というものが観点され、それは本体損害と切り離されて賠償されることになる。
これは、自己利用として、賃料相当額よりも低く算定される。

B:そもそも所有権が時間的に区分された利用権の総体として理解
一時的に利用ができなくなることはまさに当該期間に対応した利用権そのものに対する「本体損害」に当たる⇒それにより割り当てられる、やはり時間的に区分された「権限」の客観的価値が賠償される。

これは取引の対象となるもの⇒賠償額は基本的にその市場価格としての賃料相当額により算定。
  □(4) 財産損害性
以上の論者らにおける傾向は、
権利の保障内容に含まれる「権限」ないし「利益」が侵害されたならば、その「財産損害」性をきわめて緩やかに認める。

財産とはすなわち権利であり、したがって権利の保障内容に含まれる「権限」または「利益」が侵害されれば、それは当然に財産侵害となる。
  □(5) 制約の根拠
  □(6) 客体関連性要件の否定 
  ※第2款 具体的利用利益・・・賠償の制限(p163) 
  ■1 問題の所在と裁判例
  ■2 学説による評価 
  ■3 検討 
     
  ※第3款 本節のまとめ 
    一定の客観的な規範的評価を示していると認められる見解の基礎には、概ね共通の発想:
「権利追求思想」を背後に、権利により保障され、割り当てられる「権限」というものを中核に観念し、それ自体の価値およびその行使によって得られたであろう「利益」の価値が賠償される。
     
  ◆第3節 人損 
  ◇Ⅰ 労働力喪失 
  ■1 判例・通説とその問題点
  ■2 学説の展開
  ■3 検討 
     
  ◇Ⅱ 逸失利益の賠償制限 
  ■1 問題の所在 
  ■2 違法または良俗違反の行為による収入 
  ■3 偶然的な収入 
  ■4 検討 
     
  ◇Ⅲ 本節のまとめ(p179) 
    人損の場面においても、権利の保障内容を規準とし、その中核たる「権限」とその行使による「利益」の価値の賠償という観点から、補償としての金銭賠償の内容を確定することができる。
①身体・健康に対する権利により保障されるのは、既に述べた労働力の投入に関する「権限」に限られるものではありえず広く人格的な展開に関する「権限」もそこに含まれるはず。
そうした「権限」の行使により自由に自己の人格を展開することにより生じる、一定の精神的な「利益」というものも観念できる。
③そうした身体・健康への侵害によりそうした「利益」が失われた場合に、それを価値的に補償するのが慰謝料。
   
  ◆第4節 付随的支出(p180)
  ◇Ⅰ 損害回避・軽減費用 
  ■1 具体例 
ex.
不法行為により建物の屋根や窓ガラスが壊れた場合に、その内部が雨風にさらされて損害が拡大するのを防止するためにした応急処置のための費用
購入した牛が伝染病にかかっていたために、買主が有する他の家畜への感染を防ぐため予防接種をした場合のその費用
  ■2 判例・通説とその問題点 
  ■3 学説の展開 
   
  □(2) シュトルの見解 
損害回避・軽減費用一般について、249条2項1文の原状回復費用を引き合いにだしつつ、
賠償されるべき財産損害という意味での費用は、原則として被害者がその財産を賠償法上意味のある目的のために意図的に支出した場合にのみ語りうる」
「損害事実により生じた被害者の費用は、それが損が回避の目的に適切な形で貢献する限り、加害者の負担に帰するとすることが、損害を回避し、被害者から除去するという責任規範の目的に適う」
     
  ■4 検討(p187)
  □(1) 回避対象への着目 
支出された表自体ではなく、それが支出された目的、すなわちそれによりいかなる不利益が回避されようとしたのかに着目。
支出された費用を「財産損害」と捉えること自体に反対
その費用が賠償されるべき規範的根拠は「総体財産が減少したこと」ではない
回避されるべき不利益には2種類のものが含まれる。
  □(2) 権利侵害の回避 
それ自体が独立の管理・法益侵害に当たるもの。

シュトルは、原状回復原則ないし(本書に言う)権利回復規範を時間的に拡張して適用できるとする。
原状回復原則権利・法益の完全性の保護に向けられたものとして、すなわち権利回復規範として捉える
⇒切迫する権利侵害の危険が実現した場合に責任成立の要件が充たされるならば、権利侵害が既に生じたかどうかは重要でなく、むしろ未だ侵害が生じていない場合にこそその効果が発揮されるべき。
~権利侵害の予防という視点が表れている。
一次侵害の回避(ex.購入した牛が伝染病⇒他の家畜の予防接種)だけでなく
後続侵害の回避(ex.不法行為による建物の屋根や窓ガラスが壊れた⇒内部が雨風にさらされて損害が拡大するするのを回避するため、応急処置)についても
同様に(むしろより強く)妥当する。
  □(3) 後続損害の回避 
もう1つ:一次侵害ないし後続侵害から生じた後続損害に当たるもの
「損害回避費用が賠償されるためには、回避されるべき後続損害が、それがもし生じたならば一般原則より賠償されるべきものでなければならない」ということが強調されている。
シュトル:本来賠償されないはずの不利益が、被害者の費用支出によって賠償されるべきものに転化するということは合理的根拠を見出しがたい。
これを認めるならば、被害者の主観によって賠償されるべき損害が決まる⇒物の抽象的利用賠償の箇所で見た挫折理論と同じ問題点に逢着することになる。
「本来賠償されるべき損害を回避するための費用のみが賠償の対象となる」との理解は、「249条に表れた思想」によって正当化(ヴュルトヴァイン)。
249条に表れた思想:
権利回復規範であり、それは現実の侵害以前にまで時間的に拡張できる。
補償としての金銭賠償として「本来賠償されるべき損害」とは、侵害された権利の保障内容に含まれるもの、すなわち権利によって保障された「権限」自体およびその行使による「利益」の価値。
このうち後続損害として問題となり得るのは後者。

上記の正当化は、時間的に拡張可能な権利回復規範を、その対象を「権利」からそれによって保障される「利益」にまで広げることで、さらに拡張するもの。
権利によって保障される「利益」についても、その完全性というものを観念できる。
それは、権利によって保障されている以上、法的保護に値するものと言える⇒以上のような拡張には十分な理由がある
  □(4) 損害内容の確定 
(2)(3)のいずれも、権利回復規範によって処理される
⇒そこでの具体的な賠償内容の確定は、前章で述べたのと同様。
「権利侵害を回避するために支出された費用は必要な限度で賠償されなければならない」「権利保全規範」

「権利の保障する権限の行使によって得られる利益の喪失を回避するために支出された費用は、必要な限度で賠償されなければならない」「利益保全規範」
  ■5 補論 
  □(1) 利益保全規範の射程・・・機能回復説の位置づけ 
    機能回復説が念頭に置いている場面は、上記の利益保全規範の適用と重なる。

両者は、被侵害権利が果たしていた機能が回復されることによって、当該権利から得られていたであろう「利益」の保全が図られるという関係。
ex.代物賃料の例
代物を調達することによって物の機能を回復するという側面に着目⇒機能回復説
そうした機能の回復によって本来得られていたはずの利用利益の喪失が回避される⇒利益保全権能
~両者は同じ事柄を異なる側面から見たものに過ぎない。
入院中に生じる各種娯楽・通信手段や生活用品などのための入院雑貨の例。

被害者の様々な生活上の精神的利益を確保する目的で支出される。
逆から言えば、そうした精神的利益が入院によって喪失の危機にさらされている。
これらの精神的利益が生ずる源を観念するなら「自らの日常生活のあり方をすきなように決定できる権限」とでもいうべきもの。
上述のような精神的利益が失われた場合に、慰謝料による賠償がなされる
その喪失を回避するために支出される上記各種費用は、利益保全規範によって基礎づけられる。
ここでも、身体・健康が果たしていた機能の回復に着目するか(機能回復説)
それにより保全される精神的利益に着目するか(利益保全規範)
は視点の違いにすぎない。
実質、地濃回復説は利益保全規範に解消される。
  □(2) 権利保全規範の射程・・・事前準備費用に関する議論を素材として 
  ◎(a) 判例
権利侵害回避のための事前費用の賠償を原則としてん認めない。
←そのような一般的措置は通常「被害者の領域」に属するとの理解。
自分の権利は自分で守るのが原則。
  ◎(b) 学説 
 
「権利保全規範」においては、回復措置が「被害者の領域」に属するものと言えるかどうか・・・自分の権利は自分で守るべしとの原則が妥当するかどうか・・・が重要であり、
権利保全規範における侵害の切迫性は、これを具体化した要件として位置づけられる。
  ◇Ⅱ 権利追求費用 
  ■1 具体例 
典型は、弁護士費用。
その他、債権取立業者の使用による費用、加害者を探し出すための懸賞金・探偵費用、損害額の鑑定費用、被害者自身による労力の投入など。
  ■2 判例 
  ■3 学説・・シュトルの見解 
  ■4 検討 
    権利行使のために費用がかかるのは損害賠償に限ったことではなく、契約の履行請求や所有権に基づく請求を初め、およそあらゆる私法上の請求について問題となりうる。
弁護士費用を訴訟費用に含めるドイツ⇒一旦訴訟になってしまえば問題は生じない。
but
訴訟外の権利行使に限って言うと、行使される権利の内容が損害賠償である場合にのみ、その費用の賠償をも併せて請求できるとするのは明らかに不均衡。

シュトルの解くように、
権利追求費用の賠償を権利行使一般についての「実体法上独立の制度」として、損害賠償法とは切り離して構想するのが適切。
     
  ◆第5節 物損その2・・・物の本体損害(p198) 
  ■1 緒論 
物の本体価値の金銭的評価に関する基準として一般に言及されるのは、
処分価値と再調達価値の2つ。
再調達価値>処分価値
  ■2 再調達価値説 
  □(1) 通説 
再調達価値を基準
←被害者に再調達の可能性を与えないと、物が利用できないことによる後続損害が生じるおそれがある。
but
通説は、代替物についてはその再調達は原状回復に当たるとし、判例はこの扱いを中古車両にも及ぼす。
⇒原状回復費用としても再調達価値の賠償が認められる。
     
  ■3 折衷説 
  □(1) 利用利益の程度に着目する見解
  ◎(a)  ラーレンツ
  ◎(b) シュトル 
  ◎(c) 
物の本体価値としての再調達価値が賠償されるべき場合を限定し、
その他の場合には処分価値の賠償のみを認める。
その際の制限の基準として、ラーレンツにおいては、
当該物が被害者にとって役に立ち、したがって枯れた再調達につき利益を有するかどうかが問題とされている。
~通説と同様、利用利益に着目した議論。
シュトルが言う、当該物が所有者にとって「特別の価値」を有する場合のうち、一定の物の総体に属することによって高い「部分価値」がある場合というのは、
そうした総体に属することによって特別の利用利益が生じる場合を言うものと理解される。
~やはり利用価値に釈目したもの。
  □(2) 機能回復説を出発点とする見解(U.ピッカー) 
機能回復説⇒物の再調達を常に原状回復に当たるものとする。
原状回復に固有の存在意義を重視⇒原状回復費用の「処分自由」を否定する点において、権利回復説と問題意識を同じくする。

補償としての金銭賠償として再調達価値の賠償を認める通説は、否定されるべき原状回復費用の処分自由を、補償としての金銭賠償の枠内において別の形で存続させるものとして拒絶。
むしろ、「市場経済が機能している状況の下では、全ての者の物的財産は、実質的には、その者がそれによって得られる金銭的価値に相当するだけの価値しか有さない」ため、「ある客体の価値とは、市場においてそれと引き換えに得られる価格、すなわち処分価値に他ならない」

補償としての金銭賠償の枠内における物の本体価値としては、いわゆる処分価値が妥当すべきものとされる。
  ■4 検討(p203)
  □(1) 処分価値賠償および再調達価値賠償の基礎にある発想 
  □(2) 損害軽減義務の法理に基づく再調達価値賠償の可能性
    再調達価値賠償~利益保全規範
処分価値賠償~価値補償規範
利益保全規範は権利回復規範の拡張として位置づけられるべき⇒利益保全のための費用の処分自由は否定されるべき。
but
通説においては、補償としての金銭賠償の枠内で、実際に再調達がされたかどうかを問うことなく再調達価値の賠償が認められている。
  再調達価値を利用保全規範と結びつけて捉えたとしても、再調達価値の賠償は必ずしも実際の再調達を前提としない。
ドイツ民法254条2項による損害軽減義務
⇒一定の利益保全措置が損害軽減義務として義務付けられる場合には、それに違反したことによる生じた損害について補償としての金銭賠償を請求しても、それが利益保全措置に要したであろう費用を超える分についての賠償は否定され、結果として当該利益保全費用の賠償を指示される。
物の滅失によって賠償されるべき利用喪失が生じる場合、それは時間とともに延々と集積していき、いずれかの時点で必然的に再調達に要する費用を超過する。
⇒むしろ再調達が損害軽減措置として容易に義務付けられる。
⇒損害軽減義務違反の効果により、再調達を実際にしたかどうかにかかわらず再調達価値の賠償を認めることができ、これは利益保全規範に基づく賠償について処分自由が認められないということと両立しうる。
  □(3) 実質的対立点と共通の思考枠組
物の滅失の際には、
一方で、価値補償規範によれば、物の利用・処分権限の価値としての処分価値が賠償される。
他方で、利益保全規範によれば利用によれば利用利益保全措置としての再調達の費用、すなわち再調達価値がばいしょうされる。
  ◆第6節 本章のまとめ(p207)
  ■1 補償としての金銭賠償の基礎に見出される責任内容確定規範 
    251条による補償としての金銭賠償が問題となる場面では、賠償の内容は「差額説」によるとの理解が今も支配的。
but
いくつかの異なる責任内容確定規範が含まれている。
    責任内容確定規範
権利によって保障される「権限」またはその行使による「利益」が、当該権利の侵害によって失われたその客観的価値が賠償される(価値補償規範)
権利の侵害や上記「利益」の喪失を回避するために支出された費用⇒必要な限度で賠償される(権利保全規範、利益保全規範)
権利行使費用に関するルールは、損害賠償と切り離して権利行使一般につき構想されるべきもの⇒責任内容確定規範に含めるのは適切ではない。
    権利保障規範と利益保全規範は権利回復規範の拡張と位置付けられる。
「権利回復規範」「権利保全規範」「利益保全規範」
「価値補償規範」

という4つの責任内容確定規範のうち、価値補償規範以外のものは、
①いずれも不法行為に対する被害者の対抗措置が問題となっている
②賠償内容の確定規準も同一
「対抗措置規範」
  ■2 「主観的価値」概念の要否
    責任内容確定規範が把握された今、責任内容論においてこの概念を維持する必要があるか?
逸失利益:利用・処分権限の行使としての処分による「利益」
⇒価値補償規範により賠償される。
原状回復費用⇒権利回復規範
損害回避費用⇒利益保全規範
でカバー。
物の再調達価値の賠償⇒利益保全規範(および損害軽減義務の法理)によって基礎づけられる。
複数の財産が結合することにより特別な価値を有する場合
~利益・処分権限の行使としての処分による逸失利益を価値補償規範によって認めれば足りる。
  「所有者にとっての価値」という発想は、むしろ、権利者にいかなる「権限」が保障されており、それを権利者がどのように行使した(であろう)かという私的自治の問題として既に汲み尽くされており、それによりいかなる価値が得られたかはあくまで客観的に決まる。
以上の場合以外に賠償を認める必要が生じたならば、その都度その基礎にある規範的評価を明らかにし、それが維持できるものかどうかを判断すべき。
★第4章 各規範の適用関係(p209)
  ◆第1節 問題の所在と検討方法 
  ■1 問題の所在 
対抗措置規範(権利回復規範とその拡張としての権利保全規範・利益保全規範)
価値補償規範
①物の修理費用と②修理が終わるまでの利用利益の賠償を同時に請求
~権利回復規範と価値補償規範とが同時に適用。
問題が生じるのは、
第1:同一の期間につき代物賃料と利用利益の賠償を同時には請求できないというように、
同一の目的に対する対抗措置規範と価値補償規範との関係。
第2:例えば修理と再調達はどちらも利用利益の保全に資する⇒両者を同時に行うことはできないというように、同一の目的に関する複数の対抗措置規範同士の関係

各規範の適用が内容的に両立し得ない⇒どちらが優先するかという問題が生じる。
  ■2 検討方法 
出発点とすべきは、被害者による規範選択の自由
  ◆第2節 対抗措置規範の排除(p210)
ある対抗措置規範の適用が排除され、価値補償規範または他の対抗措置規範の適用が指示される場面における判断枠組・衡量要素 
  ■1 物損 
  □(1) 自動車の修補費用 
自動車の修補費用の請求に対して再調達価格が指示される場面
自動車の修補費用の限界については、再調達価値の130%という基準が確立。
  ◎(d) 完全性利益の評価 
判例上完全性利益の保護が語られる際、「慣れ親しんだ車両を保持することについての」利益とう表現⇒当該車両の客観的価値だけでなく、被害者の愛着のようなものも考慮される。
  □(2) 代車賃料 
  ◎(a) 問題の所在 
不法行為により自動車が使えなくなった場合に、被害者はどこまで代車賃料を請求でき、どこからは自動車が使えないことによる具体的または抽象的利用利益の賠償に甘んじなければならないのか?
  ◎(b) 判例 
権利により保障される利用利益の重要性を評価する際に、それにより得られる金額にとどまらない有形無形の利益を考慮に含めるべき。
加害者側の事情としては、代車の賃料と、それがなかった場合の逸失利益の額との比較、つまり賠償額の増加分が考慮される。
  ◎(c) 経済政策的見地からの制約 
  □(3) 動物の治療費 
  ◎(a) 251条2項2文の意義
相当性判断においては「愛着利益」を衡量要素に含まれる。
  ◎(b) 考慮要素 
一般に、人と当該動物の結びつき、いわゆる「愛着利益」の強さ、当該動物の種類、年齢や健康状態等、さらに治療の成功確率といったもの。

治療の成功確率以外のものは、動物の所有権の被害者にとっての重要性に関する要素。
     
  ■2 人損 
手術費用の賠償の限界。

権利回復規範が価値補償規範によって排除され、被害者は非財産的利益の喪失により慰謝料に甘んじなければならないことになるかどうかが問題。
手術費用の相当性については、
被害者の身体的完全性という利益と加害者の財産的利益とを衡量し、きわめて例外的な場合を除き前者の優位を認めるというもの。
その枠組みおよび結論は、学説上も広く支持されている。
     
  ■3 検討 
    ある対抗措置規範が他の規範により排除されるかどうかの判断においては、概ね共通の判断枠組が見られる。
    一方において、回復される権利ないし保全される利益の重要性が考慮される。

侵害の程度や対象自体の価値の他、
対象と被害者との精神的結びつき(愛着利益)の程度も考慮。

当該権利ないし利益の被害者にとっての重要性に影響するとみられる全ての事情が考慮される。
問題となる措置の成功率も考慮要素となりうる。
これらに対峙する対抗利益:
物損においては、加害者の財産的利益を置く見解と経済的効率性を置く見解。
but
人損においてぇあ、後者の見解は見られなかった。
←経済的効率性の見地から人格的法益の回復を制約するという発想が受け入れがたいことによる。
前者の見解からは、さらに加害者の過責の程度をも考慮する可能性。
    ①回復・保全されるべき完全性利益の重要性および回復・保全の可能性と
②それにより失われる加害者の財産的利益または経済的効率性
との衡量という判断枠組み。
その優劣の判断に際し、見解によっては、加害者の過責の程度によって規準が変わってくる。
  ◆第3節 価値補償規範の排除 
  ■1 問題の表れ方・・・損害軽減義務 
価値補償規範に基づく保証としての金銭賠償の請求に対し、
いずれかの対抗措置規範に基づく対抗措置費用の賠償が指示される場合。

対抗措置をとらなかったことにより生じた損害についての補償としての金銭賠償の請求に対し、
それをしていれば要したであろう費用の賠償が(もちろん、そちらの方が低額である場合に限り)、
指示されることが考えられる。
損害軽減義務の法理(254条2項)
  ■2 人損における損害軽減義務 
  □(1) 医療的処置・手術義務 
原状回復措置としての医療的処置や手術が義務づけられる場合。
←こうした措置をとることで、労働能力が回復して逸失利益が減少したり、精神的苦痛が除去・軽減されたりする。

権利回復規範によって価値補償規範が排除される場面
その議論においては、
①措置の安全性、苦痛の大きさといった被害者の負担の程度に関わる要素と、
②快復・改善の見込みの確実性という措置の成功確率にかかわる要素
が見られる。
  □(2) 転職・再訓練義務 
人損による労働能力の低下により被害者が現在の職業を遂行できなくなった場合には、
転職によって残った労働能力を活用し、逸失利益を軽減する義務

利益保全規範によって価値補償規範が排除される場面。
判例では、
新しい職業事態に要する努力、年齢の他、家族との離別が考慮されている。
結果の見込みが重視され、それと損害軽減義務の程度とが相関関係にあるとされている。
  ■3 検討 
対抗措置の義務付け、すなわち対抗措置規範による価値補償規範の排除は、
措置による被害者の負担と、
措置により得られる加害者の免責による財産的利益あるいは経済的効率性、
さらにその成功確率とを衡量して、
後者が前者を上回ると判断される場合に認められる。
  ◆第4節 小括(p223)
  ある対抗措置規範とその他の規範(価値補償規範ないしその他の対抗措置規範)とは共に適用可能であり、かつその適用が両立しない場合:
「当該対抗措置規範の適用により回復・保全されるべき権利・利益の重要性および回復・保全の可能性>失われる加害者の財産的利益または経済的効率性の大きさ」

その適用は排除され、その他の規範の適用が指示される。
価値補償規範といずれかの対抗措置規範とが共に適用可能であり、かつその適用が両立しない場合:
「対抗措置により保全される加害者の財産的利益または経済効率性の大きさおよびその可能性>当該措置による被害者の負担」

価値補償規範の適用は排除され、当該対抗措置規範が指示。
これらにおいて、加害者の財産的利益を衡量の対象とする場合には、その過責の程度を考慮する可能性もある。
 
いわゆるハンドの定式と類似の枠組により、被害者に対する一定の義務づけの可否を判断もの。 

後者においては、一定の対応措置の被害者への義務づけが問題となっているところ、
前者の類型においても、一定の対抗措置をあきらめることの義務づけが問題となっているとみることもできる。
  一般化:
被害者が適用を主張する規範よりも加害者(ないし経済的効率性)に有利な規範が適用可能な場合に、
後者の適用が指示されるか否かは、
それによる被害者の負担(義務づけられる対抗措置の負担ないし対抗措置の制限により失われる利益)とそれにより得られる加害者の利益(あるいは経済的効率性)とを衡量して判断。 
★第5章 ドイツ法の総括と補足  
  ◆第1節 総括 
■1 獲得された規範群
  ドイツにおいて、とりわけ補償としての金銭賠償については、今なお「差額説」が支配的。
その基礎になる規範的評価は明らかにされていない。
  ●  but次のような責任内容確定規範(「規範群」)
  侵害された権利の完全性を回復するために支出された費用⇒被害者の立場から見て合理的に必要な限度において、その費用が賠償される(権利回復規範)
前払いも認められる。
被害者が自ら回復措置を行った⇒そのための労力の投下もここに言う「費用」に含まれ、その報酬として相当な額が賠償される。
②侵害された権利によって保障される「権限」またはその行使により得られる「利益」が損なわれた場合⇒それらの価値が賠償される(価値補償規範)
but
そうした「利益」の賠償については、加害者の利益あるいは社会的負担軽減の観点から、一定の重要性を備えていることを要求する可能性。
権利の侵害を回避するために支出された費用
⇒①と同様に賠償される(権利保全規範)
侵害された権利が保障する「権限」の行使によって得られる「利益」の喪失を回避するために支出された費用⇒①と同様に賠償される(利益保全規範)
⑤これらの規範の適用が、目的が共通するために両立しない場合、いずれが適用されるかは、原則として被害者の選択による。
but
他に適用可能な規範がある場合には、被害者の選択した規範が排除され、当該他の規範が指示される場合がある。

①当該排除による被害者の不利益ないし負担の程度と、
②当該排除により実現される加害者の財産的利益(さらには過責の程度も)または経済的効率性との衡量(いずれを衡量するかは立場による)という、ハンドの定式と同様の判断枠組みによる。
  ■2 「規範群」の特徴
□(1) 回復の方向性の違い
対抗措置規範(権利回復規範・権利保全規範・利益保全規範)
~侵害された権利ないしそこから得られる「利益」を現実に回復ないし保全することを目指す
価値補償規範
~金銭による価値的な回復を目指す
前者の現実の回復は、しばしば被害者によって有利である一方、多くの費用を要することがある点で加害者に不利⇒第4章で見たような衡量問題が生じる淵源がある。
  □(2) 「権利」概念との結びつき 
    「規範群」は、いずれも侵害された(またはそのおそれのある)権利を中心に据えている。
    権利は、
①概念的には法秩序により個人に与えられている法的力であるが
②その目的からみると、人間的利益を充足するための手段
    「規範群」の基礎には、
権利は一定の「権限」を権利者に割り当て、さらに当該権限およびその行使により得られる「利益」の価値を権利者に保障しているという見方。
「権限」=「法的力」の回復ないし保全を目指すのが「権利回復規範」および「権利保全規範」
「利益」=「人間的利益」の補償ないし保全に向けられたのが「価値補償規範」および「利益保全規範」
  ◆第2節 射程(p227)
  ■1 対抗措置規範の射程
    他人の傷害または物の毀損以外にも、前提とされている原状回復概念に応じて249条2項1文の適用範囲を拡張することが認められている。
  ■2 「権限」と「法的地位」(p229) 
    権利により保障される対象には、自由ないし決定という要素を含まず、それゆえ「権限」とは言えないような「法的地位」も含まれうるのであり、それについても概ね「権限」と同様の責任内容確定規範が妥当する。
but
「権限」の(仮定的)行使は利益発生の要件ではなく、ただ当該「地位」から法によって想定された内容の利益が生じているかどうかが問題となる。
  ■3 行為規範型の構成要件への適用(p230) 
  □(3) 小括 
    A:823条2項や826条といった行為規範型の構成要件の要素は義務違反に尽きる(伝統的通説)
B:それらにおいても権利侵害に当たるものを責任成立要件と捉えるべきとみる見解
  ◆第3節 背景(p233)
  ■1 問題の所在 
  ■2 ドイツ不法行為構成要件論(責任成立論)の展開 
  ■3 ドイツ不法行為法における権利/秩序の対立軸 
    責任成立論において行為の規範違反、行為不法を中心に捉える立場の展開⇒責任内容論における規範目的説。
  ■4 小括・・・権利論と「規範群」との結びつき 
    秩序思考においては、要件論(責任成立論)における行為不法的違法論と効果論(責任内容論)における規範の保護目的論とがセットになっている。
    これに対抗して権利論を打ち出す際には、要件論(責任成立論)における権利侵害要件の復権に併せて、効果論(責任内容論)においては権利関連的な責任内容確定規範が採用されなければならない。
そうした責任内容確定規範に当たるのが、ここまでの検討で得られた「規範群」に他ならない。
★第6章 日本法へのフィードバック  
  ◆第1節 不法行為制度目的論との接合 
  ◇Ⅰ 議論の概要と検討の方針 
  ■1 損害補償/抑止・制裁 
  ■2 権利・自由の保護/法秩序の維持・回復・・・山本敬三 
    権利・自由の保護と法秩序の維持・回復とを対置させるもの。
    「権利侵害」要件を「違法性」に読み替えるという考え方、およびそれを(暗黙のうちに)承継したそれ以降の学説は、
社会秩序あるいは社会的有用性の観点から権利・自由の相対化を認める「社会本位の法律観」に基づき、秩序思考、すなわち「法の目的を秩序の形成と維持に求め、秩序に反する行為や事態を是正するところに法の主たる役割があるとする考え方」を前提とする。
これに対し、山本は、
起草者の理解とも一致するとされる権利論、すなわち「個人の権利を保障することに他の社会的な目標の実現に優先する価値を認める立場」をとる。
  ■3 「厚生対権利」・・・山本顯治 
    個人の私権を基礎とした伝統的な私法秩序観(権利論的私法秩序観)と
「社会的厚生」の極大化を目的とする私法秩序観(目的論的私法秩序観)
とを対置させるもの。

私法秩序全体の構成原理を対象とするもの。
    3つのレベルにおいて展開:
①法制度の目的論のレベル:
具体的には、独禁法の目的論に関して、
消費者などの個人の権利の保護に見出す見解と
社会的厚生の最大化という政策的考慮に見出す見解
との対立。
②権利制約の正当化のレベル:
具体的には、不法行為法におけるハンドの定式に関して、
社会的有用性を衡量因子とするかどうか。
③権利の正当化のレベル:
私法上の権利の典型例としての「財産権」についてすら社会的厚生の最大化という観点からの正当化がありうる。
  ■4 個人的正義/全体的正義/共同体的正義・・・棚瀬孝雄 
  ■5 問題の所在と検討の方針 
  ◇Ⅱ 制度目的モデルの抽出(p249)
  ■1 損害填補/抑止・制裁 
  □(1) 不法行為制度目的論か? 
「損害填補」とは、不法行為制度目的についての言明とは認められない

①そこに言う「損害」とは何かが明らかにならない限り、これは不法行為の法律効果を言い表したものに過ぎない
②一旦それが明らかになったならば、むしろその中にこそ本来の制度目的理解がふくまれているはず
同様のことは、抑止および制裁についても妥当

①加害の抑止と言っても、抑止されるべき「加害」とは何かが明らかにならない限り、その内実は明らかにならない。
②制裁と言っても、何を制裁するのかが明らかにならない限り、同様。

損害填補/抑止・制裁という対立軸には、不法行為制度目的論と呼ぶに値するほどの実質的内容を見出すことができない。
  □(2) 議論の意味・・・制度目的論と責任内容論の架橋
  ■2 権利/秩序(p251)
  ■2-1 問題の所在 
    「権利の保護とその調整」を制度目的とする理解がある。
対置されるのは、「法秩序の維持・回復」を制度目的とする理解(違法性理論)
but
「法秩序」の内実を具体化する必要。
  ■2-2 社会本位の法律観・・・違法性理論 
  □(1) 社会倫理秩序の維持・回復 
    末川・我妻による違法性論:
不法行為法の目的を「法秩序の維持・回復」に求める。
  □(2) 損害の公平な分配 
  □(3) 経済的効率性 
  □(4) 権利割当秩序? 
  □(5) 補論・・・いわゆる「外郭秩序」論の位置づけ 
  ◎(a) 概要
  ◎(b) 位置づけ 
     
  ■2-3 「権利本位の法律観」からの転換・・・その他の見解(p258)
    山本が批判の対象とする見解のうち「社会本位の法律観」を共有しないとされるもの:
A:平井による「過失一元論」
B:幾代、森島、星野らによる「権利侵害と故意・過失の二元構成論」

いずれも、違法性論からの脱却を図り、「違法性」要件を採用しない点で共通。
vs.
社会本位の法律観や法秩序の維持という観点を積極的に主張しているわけではないとしつつ、「権利本位の法律観からの転換」という点に関する限り、違法性論を暗黙のうちに承継している。

これらの見解における過失の判断要素:
いわゆるハンドの定式に従い、具体的な当事者の権利・利益を超えて、「行為の社会的効用」といった要素を考慮することが認められている。

「功利主義的な立場を基礎とし」て、「政策的観点から権利・自由を相対化する可能性を積極的に認めているのであり、<権利・自由の保護とその調整>という当初の構想から離れていることに変わりはない」
    末川・我妻:社会倫理規範の維持・回復を一義とし、個人の権利はそれに合致する限りでのみ保護。
幾代ら:権利侵害要件が維持されている

不法行為法の本来の目的はやはり権利の保護であり、ただそれに対する政策的な観点からの相対化が予定されているのにとどまる。
    不法行為制度目的を権利保護と社会倫理秩序の維持のいずれに見出すかという問題の関連では、責任充足の問題において後続侵害と損害とを区別するかどうかという問題が試金石となる。

①秩序思考を前提に社会倫理秩序の維持を損害賠償の目的と見る⇒権利・法益侵害という要件は、そうした秩序が破られたかどうかという問題との関係でのみ意味を持つにすぎない。
一次侵害としての権利・法益侵害によって一旦秩序が破られたことが確定⇒後は当該秩序の内容をなす規範の保護目的に従って責任内容が決まるのであり、他にどのような後続侵害が生じ、それが帰責されるのかどうかといったことは、それ自体としては問題とならない。
②権利論に基づき権利の保護・救済を目的⇒権利・法益侵害は、その有無だけが問題となるのではない。
むしろ、権利の保護・救済を図るには、その前提として、いかなる権利・法益がどのように侵害されたのかが明らかにされる必要がある。
どこまでの権利が侵害されたのかという後続侵害の問題(責任範囲論)を独立に検討する必要がある。
     
  ■2-4 小括 
    権利/秩序の対立軸をめぐる以上の検討
     
  ■3 厚生対権利 
  ■3-1 緒論 
  ■3-2 不法行為法による厚生改善の諸相 
  ◎(1) 権利設定・保護による厚生改善 
    厚生改善を目的とした権利を設定し、その保護を不法行為法を通じて実現するというもの。
  ◎(2) 不法行為法それ自体による厚生改善 
  〇(a) 効用の外部化 
  〇(b) 効用の平準化 
  〇(c) 効用の規範化 
     
  ■3-3 ここまでの議論との接合 
  ■3-4 小括
  ■4 個人的正義/全体的正義/共同体的正義
  ■5 小括と補足 
     
  ◇Ⅲ 責任内容論との架橋 
  ■1 各モデルからの責任内容論の方向性 
  □(1) 権利保護説Aおよび権利保護説B=厚生改善説A=厚生改善説C 
  □(2) 厚生改善説B 
  □(3) 社会倫理説
  □(4) 共同体的関係説 
     
  ■2 権利保護説と「規範群」 
  □(1) 「規範群」の位置づけ・・・個別的対応 
  □(2) 抑止の可能性 
  □(3) もう1つの対立軸・・・従属的理解と独立的理解 
     
  ◇Ⅳ 小括(p273)
  ■1 要約 
  損害填補/抑止・制裁の対立軸は、
不法行為制度目的に関するものとは言えず、
せいぜい一定の制度目的と責任内容論とを架橋する視点にとどまる。
そのようなものとしてすら表層的なものでしかない。 
□    権利/秩序の対立軸および厚生対権利の対立軸
⇒ありうる制度目的モデルとして以下のものが得られる。 
  権利の保護を目的とするもの(権利保護説。権利の政策的制約を許容するかどうかによりAとBに分かれる)
②厚生改善に制度目的を求めた上で、そこに考慮される効用を自らの手法により事実的に捉えるもの(厚生改善説B)
③社会倫理秩序の維持を目的とするもの(社会倫理説)
④共同体的な関係性の回復を目的とするもの(共同体関係説)
厚生改善を目的とする立場には、他にも2つのタイプのものが考えられるが(厚生改善説AおよびC)、いずれも不法行為制度目的論としては権利保護説(のうちのB)と同一に帰する。
  権利保護説⇒その限りにおいて、被侵害権利の回復という回顧的対応を実現する「規範群」が責任内容論において妥当すべき理論的必然性がある
but
同説の下でも、被侵害利益の回復を超える目的が不法行為それ自体によって独立に目指せる場合には(独立的理解)、その限りで「規範群」は妥当しない。 
     
  ■2 補論・・・関連する諸制度との協働 
     
  ◆第2節 判例法理との接合(p275)
  ■1 物損に関する判例法理 
  □(1) 交換価値 
    富喜丸事件によって「滅失毀損当時の交換価値」が通常損害として賠償。
問題は、この「交換価値」をどのように定めるか?
    昭和49年の最高裁判例
「いわゆる中古車が損傷を受けた場合、当該自動車の事故当時における取引価格は、原則として、これと同一の車種・年式・型・同程度の使用状態・走行距離等の自動車を中古車市場において取得しうるに要する価額によって定めるべきであり、右価格を課税又は企業会計上の減価償却の方法である定率法又は定額法によって定めることは、加害者及び被害者がこれによることに異議がない等の特段の事情のないかぎり、許されない」

被害者には、原状回復として、同等の車両を購入しうるだけの金銭の賠償がなされる必要があるのであり、この判例は、事故前の車両がいくらで売れたかではなく、事故前の車両と同等の車両はいくらで買えるかという観点からの算定を要求するもの。
判例は、加害者および被害者に異議がない等の場合を除き、処分価値ではなく再調達価値が賠償されるべき旨を述べたもの。
処分価値目的物の利用・処分権限の価値を填補するものとして価値補償規範
再調達価値⇒代物調達による目的物の利用利益の保全を目的とするものとして利益保全規範
それぞれ対応。
代物調達は、
それによって将来の利用利益が保全⇒被害者に有利
賠償されるべき利用利益が延々と集積していくのを防ぐ⇒加害者にも有利
判例の準則は、
利用保全規範と価値補償規範の機能、および
両者間での被害者の選択の自由
という角度から適切に理解できる。
  □(2) 修補費用 
    物の毀損の場面における修補費用は、物の所有権の完全性を回復
⇒権利回復規範に対応。
問題は、それと先に見た交換価値(正確には、それと目的物の売却代金との差額=買替差額)の賠償との関係をどのように理解するか?
    昭和49年最高裁判例:
交通事故により自動車が損傷を被った場合において、被害車両の所有者が、これを売却し、事故当時におけるその価格と売却代金との差額を損害として請求しうるのは、被害車両が事故によって物理的又は経済的に修理不能となったときのほか、フレーム等車体の本質的構造部分に重大な損傷を生じたことが客観的に認められ、被害車両の所有者においてその買替えをすることが社会通念上相当とみとめられるときをも含むと解すべきである
一般的理解:
修補が物理的・経済的に可能かどうかで区別がされ、
可能⇒修補費用
不能⇒交換価値
「買替えをすることが社会通念上相当とみとめられるとき」は、修補不能と同視されるべき場合。

買替差額の賠償が請求できる場合と、修補費用の請求ができる場合が截然と分けられ、両者に重なる領域は存在しないという理解。
2つの異なる方向の議論:
A(第1の問題):修補費用>買替費用の場合、直ちに修補不能と認められるとする。
←本来であれば買替差額の賠償が認められるべきところ、修補費用がそれを下回る場合には、被害者は修補を行うことによって損害を最小ならしめる義務を負う。

被害者はいつまで修補をしなければならないのか、いつから買替差額を請求できるのかという問題に答えるもの。

B(第2の問題):修補が可能な場合は、それが最も分かりやすい原状回復の方法。
それが買替差額によって上限を画されるのは、被害者の損害抑止義務にある
but
「修補費用>買替差額」の一事をもって常に被害者が修補をあきらめなければならないとするのは不当
⇒被害者が目的物に格別の愛情を抱いているなどといった一定の場合には、買換差額を上回る修補費用の賠償を認める余地が認められる。

被害者はいつまで修補(加害者の負担において)してよいか、いつから買替差額の賠償に甘んじなかればならないのかという問題を想定。

判決文を見直すと、そこで直接に扱われているのは前者の問題だけで、後者の問題については何ら述べられていない。
「規範群」を踏まえて以上の問題を見ると
第1の問題:
買替差額の賠償を基礎付ける利益保全規範修理費の賠償を基礎づける権利回復規範によって排除されるのはいかなる場合か?という問題。
第2の問題:
利益保全規範によって権利回復規範が排除されるのはいかなる場合かという問題。
  □(3) 転売利益
    転売利益については、富喜丸事件判決により、特別損害として位置づけられ、その賠償には、転売利益を確実に取得すべき特別の事情と、それについての予見可能性が必要とされた。
but
昭和37年の最高裁判例によって、いわゆる現有価値についてはもはや転売利益としてではなく、目的物の価値の基準時問題として処理されることとなった。
いわゆる中間最高価格の事例については、同判例の傍論においてもなお転売利益として位置づけられるけれども、そこでは、「その騰貴した価格により損害賠償を求めるためにはその登記した時に転売その他の方法により騰貴価格による利益を確実に取得したのであろうと予想されたことが必要であると解するとしても」とされており、必ずしも予見可能性を問題としないようにも読める。

有力な学区説は、
「判例が中間最高価格問題に関して416条2項類推から脱却し始めていることを示すもの」と評価した上で、従来の予見可能性要件は逸失利益における利益取得の確実性に解消されるものとする。
こうした確実性の要件は、価値補償規範においても、どこまでの「利益」が取得し得たはずものと言えるかという形でその中に矛盾なく組み込むことが可能。

転売利益に関する判例法理は価値補償規範と少なくとも矛盾するものではない。
  □(4) 利用利益 
  ◎(a) 判例における利用利益の諸相
少なくとも3種類の類型:
第1:目的物滅失の場合:
富喜丸事件によると、目的物の交換価値は通常その物の使用収益をなしうべき価値に対応
⇒その物の通常の使用価格を包含するとして、交換価値と別に通常の利用利益が賠償されることはない
第2:目的物毀損の場合:
滅失の場合と異なり、通常の利用利益が少なくとも一定の限度で通常損害として賠償される。
車両損害に関するリーディングケースである昭和33年の判例:
「被控訴会社(上告会社)の自動車が右衝突により損傷を被ったため、これを休車としたことによる得べかりし利益の喪失」

そうした利益の取得の蓋然性が当然の前提
第3:目的物の不法占有の場合:
不動産に関して賃料相当額の賠償を認める判例の集積。
そうした賃料相当額を実際に取得できたかどうかが問題とされることはない。
以上の法状況が、理論的に分かりにくい原因
1つ:いわゆる交換価値と利用利益との関係が明確でない。
もう1つ:第2と第3の場合に示されるように、同じ利用利益といっても必ずしも同じ扱いを受けているわけではない。
「規範群」を踏まえての検討:
交換価格と利用利益との関係について富喜丸事件が述べるところは、ドイツにおいていわゆる抽象的利用賠償を否定する論者が持ち出す理屈と同じ。
ここで利用利益と言われるものは物の利用可能性、あるいは利用・処分権限そのものであることになり、これは、まさしく交換価値の対象でもある⇒両者が一致するのは当然。
but
こうした利用・処分権限を行使することによって具体的な利益が得られたであろうと言える場合には、当該利益は当該権限自体の価値と別に賠償される必要がある(第2の場合)。
第1の場面でも、少なくとも代物の取得を期待できる時点までは、利用によって得られたであろう利益を賠償する必要があると考えられるところ、実際そのような見解が有力。
第3の場面の扱いは、不法占有によってその期間に対応する利用・処分権限の時間的一部が侵害されているとみることによって説明可能。
そうした利用・処分権限の時間的一部の価値を補償するものが賃料相当額に他ならず、
それを超える利用利益が権限行使によって得られていたならば、それが蓋然性を前提として賠償される。
  ◎(b) 特別な利用利益に関する予見可能性要件の理解 
  富喜丸事件では、特別損害に当たる場合も想定。
その後、予見可能性の不存在を理由に実際に賠償を否定した最高裁判例。
but
この事案は、
原告が目的物たる土地を担保に融資を受け、東京への事業展開を図っていたところ、被告が当該土地に違法な仮処分を申し立てたため、それが叶わなかったというもの。

東京進出による収益は当該土地自体の利用による収益とはいい難い。

「特別事情の予見可能性」の下で、実は当該特別な利用利益が当該土地の所有権の保障内容に含まれるかどうかという判断がなされたと見ることができる。
とすれば、この判例に関しては、416条の類推手雇用よりも、価値補償規範の確度から捉えた方がよりよく理解できる。
ここで、予見可能性があれば東京進出による収益についての賠償が認められるということは、理論的には、当該予見可能性を要件(ないし一要素)として所有権侵害とは別個の(一次ないし後続)権利侵害(この事案では、営業権がそれにあたる)が帰責されることによると理解できる。

四宮は、「被害者別人型の後続侵害」について、それは責任設定的帰責の要素が大きいため「予見可能性に近い危険性関連」が必要だとする。
~後続侵害の帰責において予見可能性という要素が意味を持ちうることを示唆。
  □(5) 代物賃料
    車両損害について「代車使用料が相当因果関係を認められるのは、自動車の利用権の侵害に対して、当該利用状況を回復するものであるからである」

利用利益の喪失を回復するための費用として利益保護規範により賠償が基礎づけられる。
代車のグレードとして、同種・同程度の代車が常に認められるのではなく、被害者の損害抑止義務の観点から相当と認められる範囲のものに限られる。

利益保護規範の趣旨からよく理解できる。

同規範の目的が元の目的物から得られるであろう利用利益を別の形で保全することにあるとすると、代物が必ずしもそれと同種・同程度である必要はなく、元の目的物と同程度の利用利益が得られるような代物であれば足りると考えられる。
代物賃料と利用利益が同時に賠償されることはない。
権利行使により得られたであろう利益の喪失を防ぐという利益保全規範の目的を踏まえれば、よりよく説明できる。
  □(6) 仮差押解放金のための借入利息・転売契約上の違約金 
    違法な仮差押えに関する2つの損害項目
1つ:仮差押えの取消しを求めるために必要な仮差押解放金を調達するために負担した利息
~通常損害に当たる(最高裁)
もう1つ:それにより既に締結してた売買契約が履行できなくなったことにより支払を余儀なくされた違約金
~特別損害で、予見可能性を肯定(最高裁)
仮差押解放金のための借入利息
目的物の占有を取り戻して所有権(に含まれる利用・処分権限)の完全性を回復するために向けられている⇒権利回復規範により基礎づけられる

違約金:
その支払によって所有権の完全性を回復するという意味は見出されない。
売買契約における特別な合意により初めて生じる義務⇒それを負担しないという利益が所有権の保障内容をなしているとも解し難い。

「規範群」による限り、違約金の賠償は所有権侵害の責任内容としては認められない。
ここでそれについて別途予見可能性を問うことは、所有権侵害とは別個の(一次ないし後続)権利侵害としての帰責を可能にするものと理解できる。
  ■2 人損に関する判例法理 
  □(1) 治療費・逸失利益 
    治療費・・・権利回復規範
逸失利益・・・価値補償規範
に対応。
治療費について「相当因果関係」による賠償額の制限がなされるのは、権利回復規範における必要の「必要性」の要件に対応
逸失利益として、具体的な収入の喪失が問題となる限りでは、
身体・健康に対する権利に含まれる「人的資源を投入する権限」と言うべきものの行使による「利益」の賠償が問題となっている。
主婦や幼児の事例を中心に行われるいわゆる抽象的損害計算については、
逸失利益の推定ではなく、労働能力の喪失という積極的損害の賠償が行われていると理解する見解(いわゆる労働能力喪失説)が、裁判上も理論上も一定の支持を受けている。
これは、上記「権限」自体の価値の賠償を認めるものに他ならない。
  □(2) 後発事情の影響の有無 
    加害後に被害者が別原因により死亡した場合において、そうした後発事情が損害賠償の内容に影響を与えるか?という問題。
判例上損害項目が何かによって異なる扱いがされている。
逸失利益について:
「労働能力の一部喪失による損害は、交通事故の時に一定の内容のものとして発生している」⇒別原因による被害者の死亡を逸失利益算定に当たって考慮せず(平成8年判決)。

傷害の結果必要となった介護費用について:
介護費用の賠償は、被害者において現実に支出すべき費用を補てんするものであり・・・被害者が死亡すれば、その時点以降の介護は不要となる⇒別減員による被害者の死亡後の期間についての請求はできないとした(平成11年判決)。
「損害」という明確に捉え難い概念を用いて、その発生の有無から一定の結論を演繹するという議論がもし真剣になされているのだとしたら、それは概念法学的思想との謗りを免れない。
最高裁の判断には、こうした概念法学的思考とは異なる何らかの価値判断ないし法感覚が働いたのだろう。
それは「規範群」によって明らかになる。
逸失利益では、身体・健康に対する権利の保障内容の中核の1つである「人的資源を投入する権限」(≒労働能力)が損なわれている価値補償規範に基づきそれ自体の価値の賠償を請求できる。

介護費用は、むしろ利益保全規範による。
身体・健康についての権利の保障内容の別の中核として、「人間らしい生活を送ることのできる地位」と言うべきものが含まれると考えられるところ、介護費用はその「地位」に基づいて得られる「利益」の喪失を回避するものと捉えられる。
こうした「利益」は、仮に失われたならば慰謝料による賠償の対象となる⇒こうした保全費用の賠償が、当該利益と加害者の財産的負担とを衡量した上相当な限度において認められる。
対抗措置規範に属する⇒その目的からしていわゆる処分自由は認められるべきでなく、現実に要した費用あるいは支出の予定のある費用のみが、客観的に必要な限度を上限として賠償される。

両判決による結論の相違は、対抗措置規範価値補償規範との異質性ないし目的の相違を言い当てるもの。
  □(3) 建設設計・施工者の第三者に対する責任 
    建物設計・施工者の第三者に対する責任に関する平成19年の最高裁判決:
売主との請負契約に基づき建物を設計・施工した者の過失により当該建物に瑕疵が生じ、これを取得した買主が修補費用の支出を余技なくされた⇒買主は当該費用につき当該設計・施工者に対して不法行為に基づく損害賠償を請求できるか?

最高裁:
設計・施工者等は「建物としての基本的な安全性」すなわち「建物利用者や隣人、通行人等・・・の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性」が欠けることがないよう配慮する注意義務を負い、
その違反により「建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害された場合には、設計・施工者等は、・・・これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負う」

平成23年の再上告審判決:
「第一次上告審判決にいう「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵」とは、居住者等の生命、身体又は財産に対する現実的な危険をもたらしている場合に限らず、当該瑕疵の性質に鑑み、これを放置するといずれは居住者等の生命、身体又は財産に対する危険が現実化することになる場合には、当該瑕疵は、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵に該当すると解するのが相当である」。
ここでは、「居住者等の生命、身体又は財産」が現実に「侵害された」ことが必要とされている。
⇒判例評釈には、そこで「侵害された」権利が何かの検討に腐心するものが多い。
そこでは、被侵害権利として、①危険にさらされない利益とか、②建物自体の所有権とか、③売主に対する債権とか、④一般財産とかが言われている。
④について橋本は
「設計・施工者の作為義務は、元々、生命身体・所有権の侵害の危険性を基礎に設定されたものであって、総体財産までを当然に保護目的の範囲に含むとはいえない」と正当に指摘。これは、②③にも妥当。
橋本:
「この点については、生命身体の侵害(その危険性)と瑕疵修補との特別の関係が説明を与えよう。
「建物としての基本的な安全性」を欠いた建物の取得者=居住者Xは、生命身体に対する差し迫った危険性にさらされており、Xは、この危険を除去して生命身体の侵害を回避するために・・・すなわち権利侵害に対する防御措置として・・・瑕疵の修補を行う。その意味で、瑕疵修補費用の支出は、生命身体の侵害と裏腹の関係にある。
このような場面では、権利が現実に侵害された場合に準じて不法行為責任を成立させることが、権利保護という不法行為制度の目的に資する。設計・施工者の不法行為責任は、このゆえに、Xによる修補費用の支出にまで及ぼされるのである」
「不法行為制度(不法行為による損害賠償)は、本来、権利侵害に対する事後的保護を担うところ、この場面では、例外的に、これを事前の権利保護として機能させるわけである」
これはいうまでもなく権利保全規範の考え方に他ならない。

従来の枠組の中で権利の認定を前倒しし、その結果その外延を拡散させるよりも、
むしろ最高裁が同規範に当たるものを実質的に承認したという事実を正面から見据えた上で、
その要件および射程を明らかにしていくことこそが学説の任務。
  □(4) 弁護士費用 
判例上、弁護士費用は「事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額」が賠償されるところ、
平井はこれを「弁護士費用を誰に負担させるべきか(敗訴者負担の制度を採るべきか)についての司法制度上の問題が、保護範囲に含まれるべきか否かという形をとってあらわれたものと解するほかな」く、「司法制度利用のため負担すべき費用であって損害賠償の問題ではない」とする。
~「規範群」と整合。
     
  ■3 小括(p290) 
    判例法理は基本的な部分において特に矛盾なく「規範群」と接続できるばかりか、若干の問題においては、まさにそれらを前提として初めて適切に説明できる。
     
  ◆第3節 先行学説との接合 
  ■1 差額説+相当因果関係論、金銭的評価説 
    「相当性」や「金銭的評価」の内実が明らかでない点に問題を抱えるもの⇒「規範群」は、それらの基礎にある規範的評価を明らかにしたものと捉えることができる。
  ■2 義務射程説ないし規範の保護目的説 
     
  ■3 不可避性・確実性説 
     
  ■4 規範的損害論 
  □(1) 生活保障説・・・淡路剛久 
  □(2) 権利追求機能の観点からの規範的損害論・・・潮見佳男 
    損害賠償の権利追求機能を規範的評価の視点とし、権利・法益の価値を金銭で実現・回復するという根幹部部を維持。
第1に、権利・法益の客体に対する加害行為によって、当該客体に結びつけられた権利・法益が侵害され、不法杭の成立要件を充たした場合、権利・法益が帰属する権利主体(被害者)に対して、当該客体の有する価値(交換価値・使用価値・担保価値など)を金銭で実現・回復してやれば、少なくともその限りで、当該権利・法益の有する価値が被害者に実現・回復される。権利主体には、当該権利・法益の客体に割り当てられた価値を保持することが保障されているからである。
第2に、・・・・当該客体の価値そのものを金銭で実現・回復しただけでは、当該権利・法益の有する価値が被害者に実現・回復されたといえない場合がある。被害者が社会生活のなかで自己に帰属する権利・法益の客体を用いて人格を自由に展開すること・・・・を通じて財産的利益を享受している場合がこれである。権利・法益が帰属する権利主体には、権利の客体をどのように管理・処分するかにつき、自由に決定し行動することが、国家により・・・・保障されている(財産管理・処分の自由、人格の展開の自由の保障)。このことを視野に入れたとき、権利主体に対し、当該客体の価値だけでなく、当該客体を用いた行動がこの者の総体財産にもたらしたであろう利益・・・・の実現・回復もされてはじめて、当該権利・法益の有する価値が実現・回復されたということができる。
    後者に関して「権利・法益が帰属する権利主体には、権利の客体をどのように管理・処分するかにつき、自由に決定し行動することが、国家により・・・・保障されている」
~「規範群」の視点からは、権利が保障する「権限」について述べるもの。
前者についても、ドイツ法の検討から、「客観的価値」と言っても結局はこの「権限」の価値として捉えられ、算定される。

上記の区分は、
①権利の保障内容の中核としての「権限」ないし「地位」の価値と
②それによって得られる「利益」
との区分に対応。
    後者について、「賠償yされるべき総体財産損害の範囲および損害額は、まず、社会生活のなかで権利・法益の客体を用いて人格を自由に展開することが、国家により当該権利主体に対しどこまで保障されるべきかという観点からの、被害者の権利・法益面への規範的評価によって定まる。その結果、社会生活のなかで権利・法益の客体を用いて財産的利益を得る行動が権利主体みずからのリスクのものでおこなわれるべきであるとされるときには、(過失相殺・損害軽減義務違反の問題となるよりも前に、既に)総体財産に生じた損害が、そもそも賠償されるべき損害から除外される。

「規範群」と整合。
責任内容論において規準となるのは規範の保護目的とか義務射程などではなく、「権利の保障内容」。
  □(3) 分析的損害論・・・水野謙 
  ■5 補論
  □(1) 権利保全規範について 
  権利保全規範の位置づけ:
先行学説には対応するものがない。
←「不法行為責任の発生には権利の「侵害」が不可欠である」との思考に囚われていたことによる。
多様なリスクにさらされた現在社会においては、加害の一般的抑止を図ることも重要かもしれないが、それよりもまず、各個人に一定の範囲において自らの判断に基づく防御措置を行えるようにすることが、私的自治を根幹とする私法上の一制度としての不法行為法が充たすべき最低限の要請。
  最近では、環境法の領域に端を発する、科学的な因果関係の証明ができなくても、健康や環境に対する深刻で不可逆的な被害が発生するおそれがある場合には規制が正当化されるとの考え方。
but
「新たな法益」による構成は、背後にある規範的評価・・・権利が実際に侵害されるに至っていなくても、一定の場合にはその予防のための費用が賠償されるべきだという評価・・・を適切に表現していない。
当面は、不法行為の制度目的としての権利保護は侵害前に最もよく実現し得るということを根拠とする拡張ないし類推解釈によるべき。
  □(2) 山本敬三の見解 
◎(a) 内容
    山本:
権利侵害要件と損害要件との関係を論じる中で、
「損害」には2つの意味があるとする。
①「権利又は法律上保護される利益」の価値が失われたという意味
これとの関係では、
「損害」要件は、「権利又は法律上保護される利益」が侵害されたことを受けて、その価値がどのようなものであり、それがどこまで失われたかということを判定するための要件として・・・つまり「権利又は法律上保護される利益」の侵害要件とは独立のものとして・・・位置づけられる。
②「財産管理・処分の自由、人格の展開の自由」が侵害を受けたことによる損失という意味

各人はそれぞれに利用可能な資源・・・自己の財産や労力だけでなく、公共の用に供されるものも含めて・・・をどのように利用するかを決めて、経済活動を行うところ、被害者の総体財産に生じた収支上のマイナスは、こうした「経済的自由」の侵害に当たる。
このマイナスが「損害」と評価されるのは、そのため。
  ◎(b) 評価 
 
山本は、まさにこうした「「利益」の「帰属」という権利観からの転換をはかる」権利論として、
「主体がするかかしないかを決める可能性が保障されるところ、「権利」を認める主眼がある」とする「決定権的権利観」を提唱。
ここでいう「主体がするかしないかを決める可能性」とは、権利によって保障される「権限」のことと理解していいい。
このような権利観の下で、「主体がするかしないかを決める可能性」としての「権限」が損なわれたときに、その回復に要する費用の賠償が、なぜそうした「可能性」を回復するという理由のみによって直ちに正当化されないのか?
なぜ「経済的自由」を持出した上でその客体の価値減少ということによって説明されなければならないのか?
は明らかでない。

その基礎とする権利観との間に不整合がある。
     
★結章  
  ■1 責任内容論の体系 
  不法行為法の制度目的が権利の保護に求められる限りにおいて、理論的に妥当すべきであり、かつ物損・仁孫に関し既に日本において妥当していると考えられる責任内容確定規範: 
  侵害された権利の完全性を回復するために支出された費用⇒必要な限度で賠償されなければならない(権利回復規範)
そのための前払いも認められる。
  侵害された権利が保障する権限ないし地位またはそこから得られたであろう利益が損なわれた場合⇒それらの価値が賠償されなければならない(価値補償規範)
  権利の侵害を回避するために支出された費用⇒①と同様に賠償されなければならない(権利保全規範)
  侵害された権利が保障する権限ないし地位から得られたであろう利益の喪失を回避するために支出された費用⇒①と同様に賠償されなければならない(利益保全規範)
    以上の「規範群」を前提とすれば責任内容論の体系はどのようなものになるか?
  □(1) 権利の保障内容の解釈 
  ◎(a) 権利の保障内容の解釈という視点 
    ①権利回復規範、③権利保全規範
~権利の完全性、すなわち権利の保障内容の中核をなす「権限」または「地位」に向けられたもの
    ②価値補償規範、④利益保全規範
~権利の保障内容をなす「利益」、すなわち中核たる「権限」または「地位」に基づき得られたであろう「利益」に向けられたもの
    これらの規範の適用に際しては「権利の保障内容」をどう理解するか、その解釈が決定的。

契約責任の賠償範囲において契約解釈が重要とされる(契約利益説)のとパラレル
  ◎(b) 「権限」または「地位」の内容 
    第1に、保障内容の中核にいかなる「権限」または「地位」が認められるかを明らかにすべき。
権利者の自由とか選択といった要素を含む⇒前者
そうでない⇒後者
    1つの権利に1つの「権限」または「地位」が対応するとは限らない。
ex.身体・健康に対する権利:
①人的資源を投入する権限(≒労働能力)
②自らの日常生活のあり方を好きなように決定する権限
③人間らしい生活を送ることのできる地位
  ◎(c) 「権限」または「地位」の価値 
    第2に、そうした「権限」または「地位」それ自体に価値が保障されて(割り当てられて)いるかどうかを明らかにすべき。
    人格的権利についても、身体・健康に含まれる「人的資源を投入する権限」、いわゆる労働能力についての賠償が有力
⇒「主体から切り離せないこと」のみをもって価値の割当を否定すべきではない。

当該「権限」または「地位」の経済的利用可能性が意味を持つ他、同種の権利における取扱いとの比較の視点という点も考慮され得る。
  ◎(d) 「権限」または「地位」の単位 
    第3に、当該「権限」または「地位」が全体として単一のものなのか、または時間的に細分されたものなのか
    ~物の抽象的利用賠償に対応する事例、すなわち一定期間当該「権限」または「地位」からの利益享受が不可能となったものの、当該期間中に当該「権限」の行使または当該「地位」からの利益発生の予定がなかったという事例。
    「権限」または「地位」が時間的に細分⇒当該「権限」または「地位」自体が一部失われたことになり、具体的な「利益」の有無にかかわらずその価値の賠償が認められる。

客体の無断使用に対する抑止の必要が意味を持ちうる他、客体の性質による区別も必要。
  ◎(e) 権利の保障内容に含まれる「利益」 
    第4に、以上のような「権限」または「地位」がどのような「利益」を保障しているのか、換言すればそれらは何のために(いかなる「利益」を得るために)保障されているのかを明らかにする必要。
権利侵害がなければこうした「利益」が発生していたであろう⇒それが賠償の対象となる。
    「権限」⇒その行使がされていたであろう場合にのみ「利益」が認められる。
「地位」⇒被害者の意思・計画にかかわらず、法が予定する態様および種類の利益が生じていたかどうかだけが問題となる。
  □(2) 対抗措置規範における必要性 
    権利回復規範、権利保全規範および利益保全規範においては、一定の費用の支出(の予定)が主張・立証されたことを前提として、問題となる費用の「必要性」が問題となる。
そこでの目的(権利の回復・保全、「利益」の保全)のために、被害者の立場にある合理人であればどのように行動したかが基準となる。
    被害者が自ら対抗措置⇒それに対する報酬を与えるという観点から一定の賠償が認められるべき。
特に人損の場合、加害者が賠償を遅らせることでもはや権利の回復ができなくなった場合⇒そうした遅延の抑止による権利の回復可能性確保という観点から、適時に賠償がされれば支出されたであろう額の賠償を認めることが考えられる。
  □(3) 価値補償規範における価値の算定 
    価値補償規範においては、「権限」または「地位」自体の価値、あるいはそれに基づき得られる「利益」の価値を算定。
    前者については、収益価値による算定が原則。
市場価値が存在する場合(所有権を初め、財産権の多くがそう)には、それが通常の利用の価値を表す。
    後者の「利益」については、
具体的な金額の形で生じる場合には当然それが基準となる。
そうでない場合にも、ドイツにおける抽象的利用利益の算定方法が示唆するように、場合によっては具体的な金額を得る可能性があったならば、それを基に抽象的な利益の価値を算定すべき
but
これについては、加害者の利益あるいは社会的負担軽減の観点から一定の閾値を設け、最低限の要保護性に達しないものについては賠償的確性を否定する可能性を留保しておくことが考えられる。
  □(4) 規範間の適用関係 
    これらの規範の適用が、目的が共通するため両立しない場合
⇒いずれが適用されるかは、原則として被害者の選択による。
    but
他に適用可能な規範がある場合、被害者の選択した規範が排除され、当該他の規範が指示される場合がある。
その判断は、当該指示により得られる加害者の財産的利益または経済的効率性との衡量という、ハンドの定式と同様の判断枠組による。
(2)で述べた支出の「必要性」とここでの両立しない適用排除によって、不法行為における過失相殺のうちいわゆる「損害の拡大についての過失」の場面は尽くされている。
⇒これを過失相殺において別途検討する余地はない。
責任の成立についての過失相殺及び損益相殺が別途問題となることは言うまでもない。
  ■2 「損害」要件について 
  □(1) 
    「規範群」を出発点に据えた⇒「損害」という概念は登場しなかった。
最終的に賠償すべき額を「損害」としたり、逆に帰責の対象、すなわち権利侵害自体を「損害」とすることは不可能ではないが、
これは結局法技術的に意味のない条文との辻褄合わせ以上の意味をもたず、「要件」と呼ぶに値しない。
    結局、体系的な有用性のない「損害」要件を立てることに腐心する必要があるのか、疑問がわく。
  □(2) 
    「評価の対象を明らかにし、また賠償の目的と、賠償によって実現されるべき状態とを明らかにする」という役割は、
「法益に被った不利益」ないし「利益状態の差」の意味での「損害」概念よりも、
本書で示した責任内容確定規範によってよりよく達成され、
またそれによって「不利益の内容は何か、またその回復のために何が必要か」をより直接に明らかにできる。
  □(3) 
  ●「損害」要件を立てることによる弊害
  「損害」要件を独立に定立⇒その本質とか統一的理解といったものを志向しがちになる⇒それぞれの責任内容確定規範の内容の違いを見えにくくしてしまう。
実際、ドイツでも、「差額説」が長らく影響を及ぼしてきた⇒原状回復が財産損害の賠償に埋没していった。
  「損害」要件⇒「既に損害は生じているから、その後の事情は賠償内容に影響しない」といった思考様式に至りやすい。
but
こうした説明に説得力はない。
「損害」なるものを存在論的な実体と捉えることは、まさに責任内容確定規範を隠ぺいするものであり、そこから一定の解釈論的帰結を導くとしたら、それは概念法学的思考との謗りを免れない。
  □(4) 
    責任内容論の体系において「損害」要件を独立に立てることは有害無益。
but
「責任内容確定規範に照らした場合に一定の責任内容を基礎づける具体的事実」が主張立証されるべき要件事実となることはいうまでもない。
  ■3 残された課題 
    個別の権利に即した各論的検討によって、各権利の「保障内容」、そして「規範群」の射程を明らかにすることが、今後に残された大きな課題。
差止論において語られることのある、不法行為法はあくまで「損害」を賠償するものであって権利状態を回復するものではないといった素朴な不法行為法理解に反省を迫り得る。
「規範群」のうち
権利回復規範と価値補償規範ないし利益保全規範との関係は
契約責任における履行請求と損害賠償との関係を想起させる。